天の白滝 三十

家族を皆殺しにしたことは話すことは出来なかったが、しらたきを六年前に拾い、行方をくらまし、再会したらなんでか弐拾歳頃の娘になっており、確かにしらたきであることを俺は寅三に話した。
寅三は上品な面立ちで「ほー、そんなことってあるんにゃなあ」と心底不思議だという顔で言った。俺は嬉しかった。寅三に認めてもらえたことで、半分幻のように感じていたしらたきの存在が確かに現存することに自信を持つことが出来たのである。

宵の内に店を出て、酔い心地の残存する中、少し寅三と道を歩いていた。
静かな道の脇の草叢で蛙と虫が鳴いていた。俺は蛙や虫たちが涼やかに鳴く季節が一番好っきゃ。
不意に俺は「寅ちゃん」と後ろから声をかけた。
「なんにゃ」と寅三は透き通った顔で振り返った。
「しらたき取り戻せるまで、どうかしらたきのこと頼む」俺は頭を下げて言った。
「熊やあん、わいと熊やんの仲やんかあ、そない、堅苦しいせんでよう、わあってん、わあってん、熊やん、しらたきちゃんわいがしかと守るさけ、心配せんときな、これから一緒に考えてこおやんか、奪い返す方法を」
俺は愛しさが溢れ寅三をがしっと抱き締め「寅ちゃん素敵」と娘の声を真似て言うと寅三も「熊やん愛してるわ」と両方女のようになってきゃあきゃあとふざけ合った。

その晩は寅三の貸してくれたお金で宿に泊まった。
布団に横になるとしらたきの冷たい目や不機嫌な可愛い顔を思い出しては涙が流れ出すのだった。人間が大の苦手なしらたきが知らない人間たちに囲まれて生きて行くのは地獄のようだろう。早く、早く連れて帰らないと、しらたきを救ってやらないと、しかし連れて帰っても俺のことを思い出さないと同じなのだ、俺もしらたきにとっちゃ知らんだだのむかつくおっさんなのだ。悲しい。とにかく、明日から毎日しらたきに会いに行こう。毎日会っていれば思い出すやも知れない。しらたきが俺を思い出して、そしたらしらたきは俺とまた一緒に暮らすというわけではないかもしれない。また旅に出ると言うのかも知れないが、悲しいが、でもしらたきが記憶をなくしたまま、籠の中に入れられた文鳥のように生きるよりずっといい。俺と暮らさせる為にしらたきを奪うのではなく、しらたきを自由にする為に俺は奪い返さねばならない。しらたきの為になることはすべて俺の為になり、俺の為になることはすべてしらたきの為になるだろう。やくざに度突き回されている時は全員殺してしらたきを奪いたいという考えが過ぎったが、そんなことをしたらしらたきの為にも俺の為にもならない、それに人を殺すことはもうしたくない、これ以上人を殺せば、俺はしらたきに触れることすら出来なくなる、しらたきをどうしても守るためなら俺は殺すが、しらたきはそれも望まない気がする。
睡魔に襲われ俺は目を閉じ、深く眠りについた。

明くる朝、早朝から俺は松河家の門の前にいた。門を叩くと、下男が門を開け「何の御用でございましょう」と聞いた。俺は事を話し、娘に会わしてほしいと頼むと下男は一旦引っ込みまた戻って来ると「すえお嬢様は奥様と御一緒にお出掛けになられました」と言った。俺はここで折れたら意味がない、と「こんな朝早うからどこ出掛けるちゅんでふね、ええから源次郎はんを呼んでもらえまふやろか」と言い、下男は渋そうな顔でまた引っ込んだ。
少し待たされて、源次郎が漸く現れた。源次郎は明らかな険相で「こない朝はよからなんだんね」と聞いた。第一印象がとても親切で優しい源次郎を知っている為余計心が一瞬挫けたが、奮い起こして俺は言った。
「松河はん、おはようさんでこざいまふ、今日から毎日しらたきに逢いに来まっさかい、よろしゅう頼んまふ、それとこれ」と俺は風呂敷に包んだ千円の金を源次郎に差し出し「これお返し致しまふ、持ってて無くしたらえらいこっちゃて、受け取るつもりはないでふさけ」と言うと、源次郎は大きな嘆息をつき「悪いが、もうあんたをうちに入れるこた出来ん、何するかわからいんておとろしいてならんわい、話すんにゃたら、別の場所で話するしかあらへん、娘にも会わすことは出来ん」と言った。
「せやったら、今からわいの話を聞いてくらはい」
「今日は忙しいて、明日にしてくれ」と源次郎は門を閉めようとしたから俺は門戸に手を掛け「待ってくらはい、すぐ終わる話やけ」と言いながら半身を中に入れようとすると、源次郎にどんと胸を押され地面に尻餅を着き、なおも起き上がって、中に入ろうとする源次郎の足に縋り付いて「お願いしまふ」と叫ぶと源次郎は俺を思い切り蹴り付けた。何故かその時親父と源次郎が重なり、まるで親父にされているような感覚になり深い悲しみを感じた。それでも俺は自棄になって足に縋り付くと何度も何度も蹴られ地面に叩き付けられ勢いよく門を閉められた。俺の中に親父に捨てられたような悲しみが覆いかぶさった。釣りが好きだった優しい時の親父と源次郎が一瞬でも重なって映って見えたからかも知れなかった。俺の内部で悲しみの殺意が積年の後悔とは裏腹に生まれ来る事に戸惑いながら、絶望の轟が地響きのように押し寄せて来るのだった。

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