天の白滝 三十三

着いた家というのが、なんとも侘びしい嵐でも来れば壊崩してしまいそうな古びた小さな貧家であった。土間ともう一つの部屋は六畳ほどしかなく、そこへ通されると目の見えないように思えない動きで老人は俺に汚い座布団を持って来てくれて俺はそこへ座った。
老人に言われて小僧が茶を入れに行き、まだびくびくしながら小僧は欠けた湯飲みに入った茶を俺の前に置いた。
「で、話ちゅうのは、なんやね」俺が聞いて、やっと俺の前に座っている老人は口を開いて時間あまりないと言うたのにゆっくりと話し出した。
話とはこういうものだった。
尾上伊兵衛という老人とその孫の藤太は今二人で暮らしている。以前には父親の佐五郎と藤太の姉であるちずも一緒に暮らしていた。が、三年前に佐五郎が病の果てに死んでしまい、後に多額なる借金を残していたということがわかって、その借金を返済する為ちずは借りていた商家の元にもらわれて今も働かされている。そこに藤太が千円を拾ってきたので、これはまさしく神様の御加護だと信じて、今から早速商家の元に持って行こうとしていたところであった、そこへ千円の持ち主であると言う俺と出会った。どうか助けてやってもらえないだろうか、自分はもうこの先長くはない、自分が死ねば藤太は一人天涯孤独の身となってしまう。そうなる前にちずを戻って来させることが出来たら、二人で力を合わし暮らして行けるだろう。
俺は苦渋な気持ちで「まあ、さっきもゆうたけろ、その金はわしの金やあらひんからね、助けるとなると人の金で助けることになんにゃわ」と言って、考えた。
確かに俺の金ではないが、千円はいったい何のために置いておく必要があるか。それはしらたきが戻ってきた場合に、松河家から千円返してくれと言われる時に俺は返さなくてはならないからである。昨日は寅三になんとかなるやろと言われて俺もその気になっていたが、それは無くしてしまったからもう仕方ないということで諦めただけであって、今千円が見つかったのだから、そこにどんな頼みごとをされたとしても俺は千円を貸すわけには行かない。しらたきが戻ってきても千円がなければ、しらたきはここのちずのように松河家にまた嫌でも戻る羽目になる。そうなるわけにはいかない、だから俺は千円をどうしても貸すわけにはいかない。俺の話を今度は聞かしたかったが、昼までに宿へ戻らなくてはならない。俺はここは人情をたたっ切って千円を取り返さなければならないと攻撃的な態度になって断ろうとした。俺は強引にでも千円を奪い、帰ろう、と思って老人の顔を見た。老人の目は俺の表面をまるで見ていない目でしかし俺を見ていた。俺はその目に戦慄した。老人は俺の内部を見透かしているように見えた。第六感の開いた目で俺の心を見抜いている。俺はその目に耐えられず、目を逸らして小僧を見た。小僧は横を向いて阿呆面で鼻糞をものすごいほじっていた。そんなに指を突っ込むと鼻血が出るのではないかと俺は思った。
俺は思い出した。この二人に会う前に俺は誓った、神に喜ばれることをする、と。俺は迷っていた。本当ならすぐにでも、無理や、すまんな、と言い捨ててさくっと千円を取り返すだろう。しかし、そうすればどうなるであろうか、神の怒りに触れはしないか、目の前に泣いて嘆願する老人と子供を見捨て、金を取り返し、俺としらたきは幸せに暮らすが、老人と小僧はこの先どうなるのだろうか、多分幸せにはならないだろう、小僧は老人が死ぬとその孤独に打ちひしがれて生きる気力も失せ、野垂れ死にするかもしれない。そうなると俺としらたきは本当に幸せに暮らすことが出来るのだろうか。神は許した俺にしらたきを与えたが、俺は自分としらたきの安穏だけを祈り、他人は見捨てた。俺は逡巡して答えが出なかったので窮余の果てに仙人のように俺を見据える老人と、今度は天井を見ながら鼻をほじっている小僧とを交互に見て、そして口を開いた。
「ちょうな、まあその話考えとくよってな、まだ千円持ってかんとってくれ、明日また来るわ、ふなわし去ぬで」
哀れな老人と小僧を後にして俺は家を出た。なんだか疲弊してしまった俺はそのまま宿へと戻った。まだ昼前だから寅三は来ていなかった。畳の上にごろんと横になり、どないしょうかなあ、という考えから、考えあぐねてもやっぱり答えが出ない、しかし俺の中ではもう決まっているのも同然だろう、なので、しらたきどないしてるかなあと、しらたきについて思い巡らしていた。

しらたきのことばかり考えていると、外でプェッ、プェッ、っと変な鳥が鳴いた。それは愉快な気分にさせる声であった。
プェッ、プェッ、と鳴くあの鳥を俺は捕まえたい。そして、俺に捕まえられたプェップェは、嘆くだろう、わたくしを放してくれよ、プェッ、プェッっちゅうてな。でも俺は放さない。なんでと思う?そりゃあね、しらたき、おまえに見せるためだよ。プェッ、プェッ。プェップェそりゃないぜ、がくんと来るぜ、だってそうだろう?せっかくこの広い空飛び回してたのによお、人間に捕まえられちゃもうおしまいって話だぜプエェ、プエェ。プエェップエはさらに啼いた、その悲しみの激情はそのまま嘴からこぼれ出た。プエーペッペペ、プウェププペペェ、ペムウェ、プミゥウェイ。と啼いてやかましいので、どないしたと思う?しらたき、しらたきならどうする?俺はな、むかつくから度突く、え?可哀想やて?せやけど、こうせなしらたきに見せるまで、こいつは発狂して死ぬかもしれんで、ええんか?それで。プエップウェはしらたきに会いたい、会いたいけどよプウェッー。って鳴いてんねんで?やはりここは度突いてでも正気に戻させて、ふでしらたきに連れてくんが正解っちゅう話や。わかるか?しらたき。大人の考えは深いんやで。で、はい、しらたきのとこに連れてきったで、と、その時、はわわ、puwextupuweはすでに息絶えておりました。何故って?それはね、しらたきに会えたことが嬉しすぎて感激のあまりに心臓がびっくりして止まってもうてん。めでたし、めでたし。めでたしちゃう?プウェップウェという鳥、おしまい。と。
俺はいつもしらたきが寝つくまでに即興で作ったお話を聞かせていた。だいたいなんでか悲しい終わり方をするのだ。しらたきを悲しませるつもりはないのだが、そこでいつもしらたきは泣くのだ、そしていつも泣き疲れて眠る。可哀想だと思うのだが、何故か俺の話はなかなかハッピーエンドに向かってくれない。自然に話すとそうなってしまうので、俺には止められない、止められない世界なのだ、止められない世界と言うと現実の世もそうであるなあ。望まないほう、望まないほうへ行くのは何でなんやろな。わかりません、俺には。そんなのみんなわからない。わからないでみんなよう生きてんなあ。そりゃ生きるでしょう。生まれてしまったのだもの。生きるしかしゃあないわなあ。生まれて、生きて、死ぬ、どうゆう世界なんや。俺は問うのだ、神に、俺はどうすればいいのですか。神は応える、あの千円を、あの爺と小僧から奪い返すのだ。そうしなければおまえは死ぬ。そんなことを言う神はいるはずがない。まずいないだろう。なら、もう答えは明白だ、あの千円は諦めるしかない。それは人助けとなるだろう、己の利己的な考えを幸福なる未来を投げ捨て、他人を救う、これはすごいことでなかなかできることでない、しかし俺はそれをやる、やって見せる。すると、神は喜ぶ、だから俺の元にしらたきを返してくれる。結局利己的な考えに基づき行動をする。それを見抜く神に怒られて、しらたきがなかなか戻ってこない。俺は嘆く。いかんやんか、やはり、やはり、どっちが正しい選択と言えるのか。利己的な考えに則り、そのまま行動を起こすほうがより純粋的と言えよう。何故ならその裏には何もないからだ。しかし、利己的であると俺が幸福にならないための善行を行うことには汚い裏があるために、神なのだから当然人間の裏も見る。すると神はやはり、俺にがっかりするだろう。そうであってはならない。ならどうすればいいか。それは俺が本心からの善行を行わなければならない。本心からあの尾上家を救い出さなければならないのだ。救うと言っても俺の千円ではないのだが。あの千円があるのとないのとでは全然違うのだ、この先の俺の困難が。それにしらたきが戻って来たいのに戻って来れない状態になりえる。どないすりゃええねんや。そう来たらここは、もう無心となろう。俺のところに必ずしらたきは戻って来る。俺はそれを信じる、ただ、信じ続ける。だから、だから、あの千円いらんよ、別に。そうでしょう、まあ人の銭なんですけれどもね、でも要らないでしょう、俺には。てことは、ということはつまり?俺は何も考えずに、あの千円を尾上家に渡せばよいのだ。尾上家は全員喜ぶ、俺も喜ぶ、しらたきも喜ぶ、神も、神はどう思うかもう知らん、神にお任せするのみだ。
それから少しうとうととして俺は畳の上で寝ていた。寅三がやってきて起こされた俺は、今日あったことを寅三に話すか、話さんほうがええか考えて寅三はきっと今回のことも、何とかなるやろと色好い返事をしてくれるだろうと思うから、隠す必要はないだろうと思い、また俺は話すことにした。
すると話を聞き終わった寅三は俺の意に反していつもと違う深刻な顔つきになった。不安になった俺は「寅ちゃんはどなしたらええ思う?」と聞いた。
「あー、うん、せやなあ、難しいね、銭見つかったとなると、なあ、みすみす知らんもんの手に渡すんも、なんかそれええんかなあて思うし、その千円は熊やんとしらたきちゃんがまた一緒に暮らすためにやっぱ必要やん?返せゆうやろしなあ、うちの親は。しゃあからここはやっぱ何の事情があろうと奪い返すべきとちゃうかなあ」
「そう、そやねん、そやんなあ」
寅三にそう言われた俺は、やっぱそうかあ、それが正しいわなあ、と思いながらも動揺した。確かにそれはそのとおりやとは思うのだが、寅三の意見が俺と相反してしまったことが何がなし悄気てしまうのだった。しかしここで、いや、でも俺はあの千円は尾上家にやると決めたから、と寅三の意見も聞かずに我意を通すのもそれはやりづらい。ここはやはり寅三の言った通りにするしかない、そうしなければ俺は寅三に顔向けが出来なくなってしまうだろう。
俺はいつにも増して真面目な顔になっている寅三に言った。
「寅ちゃんがそないゆうんにゃったら、俺もそない思うわ、それやったら早いほがええね、隠れ家教えてもろたら、その足で直裁行てくるわ」
すると、ほっと気が抜けたようになって寅三は「おっ、さよけ、あんじょう行くよう願っとおで」と太息をついた。
「任しといたって、怖い極道もん演じでもしたらすぐィかやすやろ」
「わいも出来たら肩入れしたいねんけどな、ちょうこの後用事あってね、ごめんやで」
「大事ないがな、んなん俺一人で十分や、相手は脆弱な爺と小僧や、ちゃっちゃっちゃと一気に片つけてこましたらあ」
「それもそやね、ほた、そろそろここいのけ」
「おう、去の去の」
二人は宿を出て、寅三の隠れ家がある場所へと向かった。寅三と並んで歩きながら、俺の目の前には暗い雲がどんよりと、しかしこの展開が楽しいねとでも言うような黒雲が愉快な感じに流れてきて暗くなってむかついて来るのだった。寅三にはああはゆうたものの、俺はまったく気乗りがしないでいた。意気軒昂と片をつけると言ったが、俺はあの老人と小僧の悲しい顔を見たくないなあ、と思った。しかし、もうどうにもならない、そもそもあの千円は俺が持っていたもので、ただそれを取り返すというだけのことなのに、なんだかあの老人と小僧の持ち物をすべて奪い去る様な気持ちになるのだ。何故なのだ、何故こんなことに?俺はもうそういう罪深いようなことは一切したくはないのに、避けたいのに。そうしないとしらたきが遠のいてしまいそうな気がするのに。しらたき今頃どないしとんねやろ。俺は隣を流麗に歩く寅三に声を掛けた。
「なあ寅ちゃん」
「なんやい」
「しらたきぃ、どないしとお?家ん中でいつも何してんにゃろ」
「しらたきちゃんなあ、わいが覗いた時よう庭におんね、鯉見てたり、池ん中入って遊んどったりな、はは、家ん中はさぞかしつまらんのやろねえ」
「あいつ人は苦手なんにゃが、自然の中におんのとか好っきゃなんゃわ、特に迷惑かけとらんけ?」
「だいじょぶちゃうかなあ、あんま知らんけど、うちの母親はえらい可愛いがっとおで、息子より娘がほしかったみたいやからなあ、そんでなにゃしらたきちゃんはまるで子供みたいやんかあ、手ェかかるのんも余計に可愛いみたいやわ」
「ほう、そないか、そんなに可愛いがってもうとんにゃなあ」
俺の前にもう埋め尽くされた黒雲の海が巨大な渦を巻き出して、その中心に絹の勝ち誇ってほくそ笑んでいる顔が浮かんで、俺の心は撃沈されるのだった。その口惜しさに半狂乱になりそうな俺は、違うことを考えねばと思い、これからしなくてはならないこと、そうだ老人と小僧に怒鳴り散らして金を取り返すことを考えて、俺は逃げ出したいなあと思った。寅三が優しいばっかりに寅三を裏切れない、寅三が優しくなければよかった、と思ったり思わなかったりしていた。寅か象かはっきりせえ、寅と象は果たしてどっちが強いのか、寅と象と熊ならどれ?などと俺は自分を狂乱から救うためにどうでもいい事を考えて耐えようとした。しかし俺を救うには何が一番か俺は知っているのだ、そう、しらたきのことだけを考えるのである。そしてまた妄想にとりかかる。しらたきが最終的に選ぶのはなあ、ははは、ざまあみさらせ、ははは、絹、てめえやのおてなあ、それは俺様よ、へっへっへっへへへへへ。その時、寅三が「あっ、熊やん、雨やわ、こりゃ大降りしそうやで、ちょう急ごけ」と言ったので、俺は「えっ、あ、はい、うん」と言って出来るだけ走るような感じで、でも基本歩く、みたいな感じで二人で隠れ家に向けて急いだ。

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