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天の白滝 四十七

少し悪いことをしているような気があるが、俺は幸福な気持ちになったりしている。しらたきも同じ気持ちでいるようだ。俺の少し左後ろをしらたきは歩いている。俺は立ち止まって、前を見ながら左手をしらたきのほうへと伸ばしたが、すぐに元へ戻す。手をつなぎたいのにつないではならないと感じた。しらたきもそれをわかっているという顔でさびしそうにしている。そこで目を覚ます。
俺はしらたきを誘って出かける。本当はしらたきと一緒にいたいだけなのだが違うことでごまかして別の用事があって来てくれとしらたきに誘いをかけた。二人は無言で、乗り物に乗っている。俺が操縦している。しらたきは俺の左隣に座っていて俺に訊ねる。「これからどうするん」俺は「これから俺んとこィ行くねや、用事今日中に済ませてまわんならんやろ」と応える。勾引かしているに近いような気持ちが沸き起こる。ガラス窓に当たって幾筋も水の真珠状となって鉛直に流れてく。雨降ってきた。目を覚ます。
何かを買いに行っていた俺が乗り物のところまで戻ってきて乗り物に乗る。しらたきは眠っている。しらたきはしまった、いつのまにか眠ってたという顔で慌てて体を起こした。
俺は乗り物を走らせる。道の両側に鉄骨でできた先の尖った塔みたいなものがいくつも聳え立っていて、それを緩やかなのに速いような速度で追い越していく、空が鉄の塔天辺すれすれ近くまで下がってきてる、重たそうな鉛色の雲が広がっている。胸の奥が騒がしい。しらたきが突然泣きそうな顔で言う。「ねずみに餌何日もやってへん、心配や、早く餌やりにいかんならん」俺はそれでもしらたきを俺のところへ連れて行こうと思っている。
そこで目を覚ました。続きが見たいと思った。また寝ようとしたがもう寝れない。続きが気になる、夢の続きが、俺としらたきの続きが、いったいあの後どうしたの、俺は。夢には仕舞っている本心が表れるとよく言う。俺はしらたきを連れ去りたい、今すぐでもさらいたい、尤もや。しかしそれを行うとしらたきに大いに降り懸るであろう災い、苦しみを考慮して俺はそれをしないと思っていたが、今見た夢では俺はねずみにえさをやりに行きたいと望むしらたきの気持ちなどはどうでもよいと思っていた、とかく俺の元にしらたきを連れていきたい、それしか頭になかったではないか。これはどういうことか、俺の本音はそうなのか、そうしたいという欲望が実は俺の内部で猛火のように猛り狂っているのか。それは俺らしい、とても俺らしいよ、それでこそ俺らしいと言える。俺らしい俺、それを見る己は悲しいことだ。悲しげな夢であったが俺の心はざわめくと同時に安堵していた。ええからしらたきは俺のそばにおれ、それが大前提であると思っていることを証明するような夢を見たこのやるせなさ。やれんね。

やれん。それでやね、どのように報復を行うか、俺はまた考えを練りだした。弥五は向うを向いて体を丸め眠っていた。いくら敵を討つと言えど悪逆無道なおやじを殺したりして、一生その罪を背負って生きるてな道をこの弥五郎に俺は進ませたくない。まずこれでもかっつうほどに懲らしめたらなあかんわな、懲らしめたろう、こらしめる、どのようにしてこらしめよう。何が憎いかと考えると、弥五の話を思い出すと、俺はそやつの陰茎がなんとも憎たらしいと思った。色情狂いであるのだろう、因果な淫欲にもほどがある。こうゆうのはどうだろうかと思った。たくさんの虫たちに協力願う、昆虫たちを馬鹿にしてはいかん、噛まれたりすると勁烈に痛くてやばい虫がたくさん存在するのである。俺は噛まれて酷い目にあった虫を思い出していった。まずはクワガタでしょう、下手すると貫通する勢いで噛んでくるやつもいる、噛むというか挟んでくる、二本の顎で、オオクワガタかなやっぱし一番痛かったのは、しかし雌に噛まれたこともあるのだが、あれも痛かった、雌だと見くびって手の甲を食いちぎられかけたことがある、次にまた痛いやつはムカデである、必須、ムカデは痛いだけでなく毒があるから、毒が回るとつらい、そして激しい痒みが出るのはチャドクガだ、チャドクガの幼虫の毛に刺されたとき時間をおいてたまらない痒みが出てひどい目にあった。こいつらをたくさん捕まえてきてあやつの陰茎を猛攻撃させる案はどうだろうか。もちろんこれは前置きのようなもんとして。ここから幕は開くわけだ。復讐劇の黒い幕が開く。もうそこからは、ああするしかないやろな。俺と弥五郎とあの男の三人で繰り広げる劇、暗黒劇、恐ろしい劇の脚本を書いて演出して考案して構想練って、おまえは悪役やさかいよろしく頼むね、と言って相手に台詞回しの練習させてやね、わいらも練習、そこで俺が「ささあ、さあさあさあ、神妙にしろい、成敗したるわ、あほんだら」というせりふをはいてとどめの一発かます。という芝居をするよね。芝居やとこんなに楽しい、終わったら、ははは、うまく行きましたな、拍手喝采やた、うれしいわぁ、ごっつうことうれしいね、とか言いながら笑って酒をみんなで飲みに行けるのに。地獄絵図を見ているような芝居でも終わったら、みんなで飯食うたりして温かい時間が待ってるのに、俺が考えてるこれは芝居やないんやなぁ、と思うと、もうすでに幕開いてるような心地だなあと内臓が冷えきってくる。
そのとき、唐紙の外側から「お客はん、御夕食どないしはりますぅ」という声が聞こえ、起きるのに体が重く、声を出すにも億劫であったのでほったらかしてたら仲居が唐紙を開けて入ってきて「お客はん、お食事のご用意できてますが、どないしはりまひょう」とでかい声でゆうた。俺はしゃあなく起きて「ほた、頼もかいな」と言うと「はいな」とおかめみたいな仲居は出て行った。飯を食いながら楽しく弥五と復讐手段について話し合うてなことはできひん、今のうちに飯が運ばれてくるまでに決めときたいと、禅を組んで目を瞑り沈思するのだけれども朝から何も食わずにいたから腹が鳴って集中できん。こんな体たらくで俺は弥五郎と一緒に惨酷な報復を遂げることができるのであろうか。俺はしらたきと出会ってから人を毀傷損傷させることは極力避けてきた。もうすぐしらたきと出会って七年になろうとしている、その間俺は人を刺傷することもましてや斬ることもしなかった、殴り倒すことはあったけれども、脇差を抜いて脅すことはあったけれども、血の雨を降らすことはなくなったのはしらたきのおかげであろう。しらたきのことを思い出して何事も控えめにやってこれたのだ。血の気盛んに血を見てきた俺からしたら偉いと思う。でもそれも続かせることができなくなってしまった。それは弥五のせいではない、悪いのは弥五郎の母親を陰惨なやり方で辱め死へと追いやったあの男が悪い。やったる、俺がやったるさかいおまえはなにもするな、俺の手ェはもうすでに血にまみれている手ェやが、お前の手ェはまだきれいでこの先我が子を抱くこともあるだろう大事な手ェや、その手ェを報復のために穢すな。俺は眠っている弥五の背中に向かい心で強く切言した。

仲居が飯を持ってきたときに、俺は昨夜ここへ酌をしにくるはずだった若い入ったばかりという娘の名前はわからないのだが、その娘をここにやってもらえないかと頼んでみた。少しばかり薄汚れた感じだが元気のよいおかめみたいな仲居は「照のことでおましょうね、照でしたら今日は指名客がいはったかしれまへんが、ゆうてみますよって」と器を卓上に並べながら応対した。おかめが去って、気持ちのよさそうに寝ている弥五を起こすか一瞬ためらったが温かい飯を一緒に食うほうが良いだろうと肩をゆすって起こした。
「おい、飯がやてきたで、起きひんけ」
目を開けた弥五は「あー、おー」といいながら伸びをすると俺の顔を見て寝惚け眼で「兄貴や」とつぶやいた。確かに俺はお前の兄貴であるが「なんやそれは」と俺が笑いそうになりながら言うと「兄貴ィ生きとるよなぁ」と言ったから俺はびっくりして「生きてると思うよ?」と自分でも確かめながら応えた。
「どないしてんや、俺が死ぬ夢でも見たんけ」
「いやな、兄貴だけやのうて全員で死ぬような夢見てん」
「またえらい夢見たなぁ、どやって死ぬんにゃ」
「それがな、祭りでみいな騒いどんねけろな、馬祭りかなんかしらんが馬がようさんおてな馬とみいな踊とんねん」
「ほほ、馬とどうやて踊とんにゃ」
「なんかな、馬の前足つかんで持ち上げて楽しく踊てんねけろな、足が重おてみいな踏み潰されてからな、みいな死んでまうねん」
「はっはっは、けったな夢やなあ」
「うん、けろ楽しい死んでったさかいこれは悪夢なんかええ夢なんかようわからんわ」
「どちでもないんちゃうけ」
「せやろな、ああ夢で騒いれ腹減たわ、兄貴食おや」
「おお、食お、食お」
といって二人は卓の前に向かい合って座ると「わい飯よそうわ」と弥五が白木でできた飯櫃から白飯を茶碗にてんこ盛りによそって俺に渡した。
「ふほほ、盛ったったな、おおきに」と笑って俺は茶を二つの湯飲みに注いだ。
「白飯はやっぱ美味いね」といいながら飯を二人とも山盛り三杯は食って、やめておこうと思っていたのが副菜が残ってしまったことで酒を頼もうかということになり仲居を呼んだ。
少し待たされて「まだやろかいね」と話していると襖が開いて入ってきた仲居は照という娘であった。なんやしらんが二人とも一目を合わしたっきり照れくさって俺は「照に照れて照る日のごとくとな、おほほ」などと洒落のめしながら君も呑みなはれと照に酒を注いで、みなで呑むなんとも喜ばしいめでたい祝宴のようなこの良夜が長々と延びてほしいと俺は切望した。

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天の白滝 四十六

昨夜のいつもと違う弥五にうら寂しさを感じた俺はついつい酒を無理して飲んだのか、少しく宿酔してしまったようで頭の奥が重い、弥五はまだ帰ってない。どこ行ったんやろな。喉が渇いているのと厠へ行きたい気持ちが沸き起こった俺は行動に移すべく立ち上がった。
まず小便をして、手水場で顔を洗い、水を飲んだ。うなぎの寝床の廊下、そこで俺は気付く、あ、俺、水に関わることを続けて三つしたなあ。そこで、更に水事をしてみたくなり水にまつわることは何かないかと宿の中を腕を組みながら歩き探した。あったわ、ぐるぐる廻っていると廊下でぐるりと囲んだ坪庭を見つけそこに鹿威しがあった。俺は虚無的な笑いをしながら近づいていき鹿威しの水でさて何をしようかと思った瞬間にもう浮かんで柄杓をつかむと頭に水をかけた。気持ちが良かった、なんとなく。しかし頭の重苦しいのはそのままであった。
俺は立ち上がるのにも労力を要するうことがわかり、その場で座ってかっこん、こかん、とか言う竹筒の斜めに切ったところを何も考えずに見ていた。見ていると腹が立つ、俺はこんなに重い頭で苦しんでいるのに、その俺の前でおまえは単純な動作をし続けるのは何かの厭味か、そんな意味のわからないことを繰り返すところを見せられる俺の身になれ、それにその大体カ行の音が入った人を小ばかにしたようなふざけた音はなんなのだ、人を莫迦にするのもいい加減にしろ、たまらなくなって俺は竹をつかみ、その無意味な動作をやめさせた。もうやめとけや、と俺は竹筒に言った。と言いながら俺は心の中で、ざまあみさらせ竹野郎が、と思っていた。
すると何か前面から視線を感じて俺は見た。庭を隔てた廊下に脇取盆を持ってこちらを見てはならないものを見るともなく見ている娘があった。それは昨夜、弥五郎の背にしがみつき怯えていたあの生娘であった。俺は竹に向き直ると「この竹はええ竹やなぁ」とゆうて立ち上がり顎に手を乗せながら、ははは、と軽く笑って見せた。しまった、見られてしまったと恥ずかしながらその場を去っていこうとしてはたと止まって振り返った。あの娘、弥五がどこ行きょったんか知らんやろか、と思い聞きに行こうとすると娘のほうから廊下をまわって俺のほうへと歩いてきた。
目の前まで来た娘に俺は頭をかきながら尋ねた。
「ああ、姐さん、ちょっと聞きたいのだけれどもね、昨日俺の連れのもんおったやんか、弥五郎ちゅうねんけども、あいつ朝起きたらおらんでね、どこいきょったんか知らんかいな」すると娘は眉を下げて「さあ、知りまへん」と応えた。
「あ、そう?ほならええんにゃわ」と言い振り戻って部屋へ帰ろうとしたら角を曲がって弥五が現れた。
すっ呆けた顔で弥五は「あれ、兄貴こんなとこで何してんのん」と言ったので「何てわれ探しとったんやんけ、今までどこいっとったんや」と俺は聞いた。
「どこちゅうたら、まあ、ちょお言いづらいもんで」と言葉を濁す弥五の珍しい言葉を聞いて「ほお、ほな部屋でやったらええんか」と言い娘のほうを見ると娘と弥五はまるでできているような目で見合っているから、おまえ等いつのんまに、ちゃっ、と思ったが弥五の言うことが気になるのでそこを配慮してかせずか弥五と擦違いざま横目で見ながら低い声で「部屋で聞かしてくれ」と言い先に部屋へ戻った。
ぎこちなげに後から入ってきた弥五を見た俺の顔を見て弥五はぎょっとした顔をした。部屋に着いた瞬間頭の重力が激しくなってきて人相が好いとはいえないこの顔が無意識にもさらに悪い人相となっていたのかもしれない。いや、俺はそうゆうつもりやないんや、と無理に笑おうとして笑いを浮かべたらますます弥五の顔色が沈んでいった。もしかして余計に恐ろしい顔になっているのかもしれない、いかん、いかんと思っていると弥五が畳に膝をつき深刻な顔で話しかけた。
「すまん、兄貴、黙っとるほうがええんちゃうかと思てたんやけろ、やっぱ兄貴に隠し事するなんてなこた、わいでけへんわ、しゃあからほんまのことゆうわ」
「なんなんや、そない改まって」
「あんな、実はな、わいね意趣晴らししたろか思とんねん」
「意趣晴らしちゅて、いったい誰にや」ときくと少しの間を置いて弥五は言い放った。
「わいの母親をなぶった男や」
「おい、それ前ゆうてた若旦那のことか」
「せや、あの男や」
「見つけたんか」
すると俯いていた弥五が俺の目をしっかと見て力強く頷いた。
「昨日の、あのおっさんや」
「あの間抜け面で倒れてたあいつか」
「うん」
「しかしようわかったなあ、二十年近く前の話やろ」
「あいつ右耳がないんや、さっきの娘に聞いた話では餓鬼ン頃に犬に噛まれてなくしたらしい、その特徴とそれから、あいつの家は酒造家で酒に変な家紋みたいな鶴の印張ったあるんわい思い出したんや、昨日の晩からあいつの後つけてその屋敷に帰るん確認してきた」
「ほんまか、ほな間違いあらへんねやな」
「うん、間違いはない、わい、殺したろか思うんにゃ」
「殺すて、殺したん見つかったらわれ、今日日仇討ゆうても殺人罪で縄に掛かんにゃど」
「わおてるよ、しゃあけど、あんな奴死んだほうがええんや」
俺は深く息を吐くと激烈な頭痛も相俟って、ちょっとだけ横になりたいと思った、がしかし今ここで横になるわけには行かない、どうしたらええのか、激痛で思考が止まる、とそう嘆きもだえていると弥五が落ち着いた調子で話し出した。
「兄貴、わい、初めてなんや、母親のことでこないな思いになったん、今までは無関心に近いもんあった、母親んことは考えんとこて思っとったし、なんや親孝行みたいなん一回もできんうちにさっさと死んでまいよったさかいな、ええ機会や思て孝行のつもりで仇討ったろかて思うんや」
「われ、そんなことして母親は喜ぶんけ」
「へへ、母親もう死んでもうとるさかい喜ばんわな、わいがただむかつくんで殺したいんや」
「殺すんは、やめとけへんか」と俺が言うと弥五は一瞬悲しげな目で俺を上目遣いで見ると思い詰めた顔で立ち上がり出て行こうとするから「おい、どこ行くんにゃ」と言うと「酒持てきてもらうようゆうてくるわ」と言って部屋を出た。
ちょう待ってくれやと俺は思った、俺はこんなんで酒呑まれひんがな、俺も呑みたい、くそうと叫び畳に倒れこんだ。とてつもなく悔しかった。弥五は俺の為ならば命さえ捨てるとゆうた、なのにこの俺はなんや、弟の為に何を怖れているのか、俺が怖れているのはあらゆることである。
まず第一にひとごろしは見つかると捕縛され、それなりの刑に処せられる、それに相手は若旦那から当然跡を継いだであろう商家の主人、主殺しは昔から重罪である、今はどうなっているのかよく知らないが、死刑は免れても終身刑にはなるであろう。怖ろしい事だ。弥五をそんな目に合わせたくないし弥五が殺るといったら到底一人でやらすわけにいかぬので俺も勿論同罪、俺はそれは避けたい、しらたきに会えなくなってしまう、しらたき、ああ名前をゆうただけで顔がほころんでしまうなあ、ははは、俺はおまえをずっと呼び続けてるんやで、とかゆうてね、ははは。
で、第二になにがまずいか、それはそう、俺はしらたきとまた一緒に暮らせるために善を通すと誓った、善き行い、と、正義を貫き悪を倒す、敵を討つ、この両者は同じようで同じではない。俺はもう罪を上塗りしたくない、この俺の生きる月日とともに成長していくかのような大罪の上に少しでも罪を上乗せすると自身が崩壊して重みに耐え切れなくなり滅びゆく気がしてならない。もう何一つ罪を犯したくはない。というのがあれか、第三か、まあ今のところ三つあるっちゅうことで、どうしても、どないしても殺したくない。

「俺が考える」と、そう戻ってきた弥五に俺は寝転がっていたところからすぐさま即身仏のように禅を組んで座り項垂れてそう静かに言った。
「兄貴、すまん、わいひとりでやるつもりやったのに」
「なんかしてんねん、われ黙ってそんなことやったら、そんときは殺すど」
「ははは、ええで、兄貴になら別ィ殺されても」
「なんかしとんね、そやたら俺は考えるけろも、ちょう寝ながら考えとくさかい、すまんがひとりで飲んだってくれや」
「おう、気にすることあらへん」
俺は横になりながら殺さない方法で相手を痛めつける良い方法を考えに考え、煩悶して探しあぐねた。午下の太陽光が部屋全体を後退させていこうとしている。


天の白滝 四十五

じゃっ、じゃっ、と二人は快活に鳴る足音を相互に踏んで進んでいたが、そういえば辺りは夜の暗がりで、何がなんなのかよく見えない、これじゃあ何かにつけ、け躓きこけてしまいには岩に頭を思い切りぶつけ死ぬとか、橋の上から落っこちて溺れ死ぬということも無きにしも非ずと、危険が多すぎる。なんで暮れ時に家を出てしまったのかと後悔したが、その理由は直ぐにわかった、俺と弥五郎の二人は先刻「山羊の角」で酒を嗜んだからである。酔うと人間は心のうちが広くなって何事にも大きく振舞う、小さなことに拘らなくなる、そうして俺と弥五郎は何の気の迷いもなく夜から長旅に出るという痛快な行動に出たのであって、道を進むに連れ酔いがさめてくると、一体わしらは何をしておるのだ、と呆れ返るのだが、気付けやもうだいぶと歩いてきてしまった、ここで引き返すのもなにやら悔しいし阿呆らしいと、しかし暗すぎて道がてんで見えない、前に進むのが危なすぎるから、しょうことないね、と言い交すと二人は宿場町の明るみを目指し宿屋へ吸い込まれるようにして入っていった。
しかしそうして一旦入った宿屋の廊下は一目見て淫靡な飯盛女とわかる蓮葉がよろよろ歩いていたりと、女郎屋と変わらぬ腐朽な空気に呻き軋めき澱んでおった。そうゆう気持ちでそれを求めて入ったならばそれも良いものだと目は感得するが、特に求めてもおらない時に見せられると嫌な汚らわしいものを見せられたような気分になるもので、俺はそうでも弥五はどうなのかと弥五の顔を覗くと矢張り何かばつの悪そうな顔で目と目が合い、どうする、他行く?ええか、ここで。というのを僅か五秒ほどで目と目で済ませると俺は「まあ、しゃない」と言い主に部屋を案内させた。
案内された部屋に入ると主人が「今すぐに仲居二人が来ますので」と愛想笑いで言うのに「いや、わしらただ泊まりに来ただけやさかいいらんよ、酒肴ちょいと持てきてもろたらそれで」と言うと主人は顔をこれでもかと言うほど悲しそうに歪ませ「いやあ旦那はんら、はいったばかりの別嬪の生娘がおるんどすわ、顔を見るだけでもええですきに、へェへ、どうかおひとつぅ」と言うとしゃしゃっと襖を閉めて出て行ってしまった。
「顔だけ見てもしゃあないのにな、ははは」と笑いながらも弥五はちょっとときめいているようであった。まあ一緒に飲むくらいはいいであろうと俺もどんな娘が来るのかと楽しみに待っていると早速襖を開けて入ってきた、仲居の二人を俺と弥五は見た。
手際良う器を並べ満面の笑みで酌を取ろうとする、ほう、確かに器量は良いがどう見ても二人とも五十は超えていると見えるのだが、これが生娘なのか、これを生娘とここでは言うのか、と俺と弥五は薄い目で仲居を凝然として見ながら目を逸らしながら酌を受けた。
「あとは自分らでやるから去んでくれてええよ」と仲居に伝えると、二人の仲居は、あら、んまあ、という顔をして残念そうに頭を下げて去っていった。
くくくくく、と笑いながら俺は「どっかの客に先取られてもうたみたいやなぁ」と言うと弥五は「うわぁ、どんな娘か見てみたかったなぁ」と肩を落とした。
「まあ何もここで遊ばんでも村ィ帰たらなんぼでも遊びに行たらええがな」
「兄貴、そない悠長しとられんやん、銭貯めなあかんし、はよ去んで戻らなあかんやんけ」
「そう急がんでもええやろ、村でちょいと稼ご思てるし、残てる田ァとか売り払たろかて思てんにゃ」
「しゃあけろ兄貴、手紙にはすぐィ戻るて書いたやんけ」
「あれ、せやったかいな、まあ大丈夫やろ、子供やないんやしそこまで心配しいひんやろ」
「せやたら、まあええんやけろな」
兄貴大丈夫かいなぁ、と心配する顔で俺を見る弥五の顔を見て苦笑いすると酒を一口飲んだ俺はそういえばずっと小便を我慢していたことを思い出し「ちょっくら憚ってくるわ」と告げ立ち上がると「ほなわいも憚ろう」と弥五がひょこひょこ子犬のようにあとを着いてきた。
「なんかね、あれやねん」と俺は弥五に小声で言った。
「あれてなんや」
「多分小便と大便の間っちゅうかんじのもんかもしれん」
「中便か」
「それ、それや、しゃあから先行きよし」
「ええよ、わい待っとるさかい」
「けろ、もしかすると大便寄りの中便かもしれんねんで」
「ひひゃひゃひゃ、もうなんでもええて、そないだにわい生娘どうしたか聞いてくるわ」
「おう、ほしたら俺も後で撲り込みィ行くさかい待っとれ」
と伝えると俺は憚りを求め、とかちゃかとかちゃかと小走りで廊下を走ってった。
思ったよりも、小用を足し終わった俺はそれでもすっきりしたかのように嘯き憚りを後にし、弥五はどこや、どこ弥五や、と辺りをふんふんと見回して探し出した。長い廊下をてくてく歩き突当りを右見て左見てもう一回右を見ると驚いたことに廊下で弥五と生娘風の娘がちゃいちゃいとしておった、というのは俺の目の錯誤であったが、何かその二人は揉め事に巻き込まれたような困惑して弥五に助けを求める生娘のほうは青褪めてもいたが弥五のほうは何か一点を見詰め自分の世界に入り込んでしまっているような顔で硬直していた。俺は何があったのだと駆け寄ると弥五が俺に気付いたようで「あ、兄貴」と言いながら目で何かを訴えてくるのだが何が言いたいのかがさっぱりわからない、俺は弥五が見ていた部屋の中を覗いた。そこには半裸の親父が仰向けに倒れ込んでいた。それを見た俺が「われ、やってもうたんかぁ・・・・・」と冗談のつもりで言うと弥五が真面目な声で「いや、自分の裾踏んで転んで頭打ったんや」と応え娘に向かって「あ、あんた主呼んできてくれるけ」と優しい声で伝えると娘は頷き走って行った。ちょっと、これどうゆうことなのよ、と何故か姐さん言葉で聞きたくなる気持ちを押込め「おっさん、阿呆みたいな顔で寝とんなぁ」と俺は言った。これこれこうゆうことで、わい放心してもうてんねん、みたいに弥五から話してくれるのを待っていたが弥五はまた一点を凝視し続けると自分の小宇宙の中に入ってどこかへ行ってしまうのだった。「おい、おい弥五大丈夫か」と目の前で手をぶんぶん振るとまたはっと我に返ったようになって「兄貴・・・・・」と俺に眼で何かを強く訴えるのだが、俺は頭の中で何?何?と聞くばかりで何一つわからないし進まない。
そこへ生娘が主と一緒に息急きながらやってきて、倒れている親父を見ると主は「ひいぃっ、えれえこっちゃえれえこっちゃあ」と言いながら「旦那はん、旦那はん」と叫び親父に呼びかけると「うーん」と唸って親父が目を覚ましかけた。すると弥五が俺の腕をぐっと掴んだかと思うと「兄貴、去のう」と言いすたすたと部屋に戻って行ってしまった。俺は何か言いたげな生娘を残し弥五を追い部屋へと戻った。
一足先に部屋へ戻った弥五は俺が戻っても中空を見詰めたまま眉を顰め何か思案しているようだった。その様子に不安になった俺が「弥五ちゃん」と話し掛けても「ああっ」と言ったかと思うと酒を煽っては項垂れ込んだりしている。
こんな弥五ちゃんはちょっとおかしいよ、何があったのか話してくれないなんて寂しいではないか、弥五郎の馬鹿野郎と俺も酒を煽り、弥五と交互に「っかぁ」「ぷきょー」「むぐう」「ピチケエナ」と意味のない言葉を叫びながら呑んで倒れるようにして寝に入った。
翌朝、座卓の上に一枚の紙切れがあり、そこには「ちょっとした用をこなしくる、午までには必ずカヘル、ヤゴ」と書かれてあった。俺はそれを読んだ瞬間心の中で、プギョウエラアッと叫んだ。そして二度寝をするのにごろんとなり布団の中へ潜り込んだ。


天の白滝 四十四

弟、弥五郎の良き兄になる、と我が胸に誓い晩遅くまで飲み明かした明くる日。
俺は常々気になっていたことを弥五に聞いた。
「ところで、うちの兎はどうしとんやろかな」
「あっ、兎」
「なんや」とびくびくして俺は聞いた。
「わいがこっち来る前生きとったで」
「なんや、びっくりさすな、死んだんかて思うがな」
「すまん、生きとおとは思うねけろなんにゃたらこれから帰てみぃひん?」
うーん、どうしようかなぁと俺は迷った、俺がいない間にもしかするとしらたきがやってくるかもしれない、そうなるとせっかくしらたきが会いに来てくれたのに俺がいないんじゃ会うことができない、それは残念でならない、兎をただ連れ帰るだけのことだから何も俺と弥五二人で帰る必要はない、俺一人で帰って弥五はここにいて俺の代りにしらたきに会っておいてくれ、というのはおかしい、弥五にしらたきに会ってもらっても俺は嬉しくない、ということはまず仕方ない、ここは、と俺は弥五に頼んでみようと思った。
「すまんが、われ一人で帰て兎だけ連れて来てくれんやろか」俺は実に申し訳ないという顔でそう頼んだ。すると弥五は実に嫌そうな悲しそうな目でこう応えた。
「ほんま?そうなん?」だから俺も本当に悲しいけれど致し方ないことだからという目で
「うん、そやねん」と応えた。
「途中休みながら歩いて片道一日はかかる、そいで向こう帰た序でに山仕事して銭作て来よう思うんにゃけろええか?」
「おお、ええどええど、ただ俺は兎が無事やたらそれでええんや」
「ほな悪いけろ飯と宿代貸ィてもらえっか、ちょいと一服したら行てくるわ」
「おう、ほな二円ほど持てき」
「一円もあたら充分にゃで」
「ええからええから足らんなたらあかんやろ」
「ほなおおきに、預かるわ」
そんな遣り取りを弥五とかわし、俺は一息ついて茶を飲んで、あまりの己の情けなさに気づき絶望した。昨日の昨日の晩に俺は良い兄になると誓ったばかりではないか、何故俺は弥五を便利屋のように使ってしまうのか、それでも弥五は俺をひたすら信じて何も言わず使いを受ける、これでは弥五郎があまりに憐れが過ぎる。なんでも遣わすのが弟ではない、そんな兄貴でいてはならない、そんな兄貴のままでいてもきっとこいつは俺のそばに居続けるのだろう、それが哀しい、だからといって言うことを聞かし続けていては駄目なのだ、あかんのだ、そんな兄の何が兄だ、俺はそんな兄になるものか、俺はこの弟弥五郎に心から敬畏の念を抱き、その弟に相応しい兄貴でありたいと願って血を啜る思いでこれを誓ったのだ。それが明日には兎連れてきて、などと頼めた義理なのか。取り消す、取り消そう。
「あんなあ、なんかね」
「なんや兄貴けったいな顔して」
「そう?いやな、やっぱな、俺も帰るわ」
「なんじゃそりゃっ」
こほほほ、はははは、と二人で笑って、そうと決まればすぐに行こうと準備をし出した。何持てく?て何も持てくもんないか、あ、そや寅ちゃんに置手紙書いておかな、と紙と筆、紙と筆、と探したがいくら探しても紙と筆が見つからない、どないしょ、と弥五と二人で顔を見合わせた。
「しかしあれやな、紙に書いただけやたら寅ちゃん心配せえへんかて心配やな」
「心配しふぎやろ」
「うーん、俺はなんか心配やな」
「ほたらあいつ今日もあこの山羊んとこにおるかもしいひんや、行てみょや」
「あ、ほんまやね、行こな行こな」
と言い二人は宿を出てとたらとったらと歩いてかっぱう屋「山羊の角」へと向かったのであった。
「山羊の角」に寅三はいなかった。まだ宵の前だから早すぎるだろう。また二人でどうしょどうしょと見合して、ははは、と笑ってしかたないからそこいらをぶらぶらと歩いた。
松河家はこっちのほうやと言いながら何とは無しに寅三に会えぬか、それよりしらたきに会えぬだろかと松河家の近くまで行ってみた。
あと少し行くと松河家が見えると思うだけで胸の隙間に熱水を注がれたように熱くしびれるような感覚になるのだった。いくら親と子と言えども長らく会う日を逃しておればこのような気持ちになるものであるのであろうか。そう思うと松河絹にとってもしらたきは我が娘、その娘を易々手渡す時はやってくるのだろうか、と不安にさいなまれた。
松河家の前に着くと、高い塀を見上げて俺はあることを思いついた。塀は立派な瓦に上部白漆喰に腰から板張りのもので高さは俺の身丈の二尺ほど上まであった。
俺は松河家の塀を見上げて呆気に取られている弥五に向かって悪戯小僧のように言った。
「弥五、おまえちょう肩車してくれや」
「お、覗くんけ、おほ、よっしゃ兄貴肩ィ乗ったれ」と弥五はすかさずしゃがんで俺の股座をくぐってこれを持ち上げ「そっと、そおっとやで、あ、あかん、ちょう頭出過ぎてる、もうちょい下がって」などとこそこそ示し合わせながら弥五の肩に乗った俺はそおっと目のところまで塀から出して中をぎょろぎょろと見回した。これがばれるとかなり最悪な事態が予想されるがどうにも覗きたい衝動に負けてしまったのである。
するとある一点を仕留めた俺は驚いて後ろに倒れそうになった。縁側に膝を曲げて座って何かで遊んでいる楽しそうに微笑むしらたきの姿が見てとれたのである。俺はそのしらたきが笑うと同時に「わあー、ああー、あはは、あっ」とか声を出すので下にいる弥五が「ん?なんや、おい、なんかおったんか、おい兄貴」と聞くのも聞いておらずしらたきに夢中になってしまっている。
「なん、なにゃ、あ?あー、猫や、猫やわ、猫おるんやわ、猫おってんにゃ」と俺が声を出して「え?猫?兄貴猫見とったんけ、猫見て何を喜んでんにゃね」と弥五が声をかけたのにやっと気付いて「いや、しらたきが猫と遊んでるのよ、はははっ、しらたき楽しそうにあそんどるわあ、あーごっつい楽しそうやなあ」と言った。
「なんやっ、しらたき見れたんならはよそうゆえや、ちょうわいも見たい、交代せんけ」
「あかんて、ちょう待てて、もうちょい、もうちょとだけ見ときたい」
「はあ、ちょう誰か来たらやばいて」
「ああっ、あの猫しらたき引っ掻こうとしてないか、おいい、心配やなあ、おいい」
「兄貴もうええから代ってくれや、わい一目だけでええし、ほしたらもうすぐ去んだほうがええで、いつ松河のもん通るんかわからんやんけ」
「え、さいでんの、悲しいなあ、寂しいなあ」
「もうええちゅうに」と笑いながら弥五が低くなって俺は怒ってるのか笑ってるのかわからない鬼瓦のような顔を作って弥五を見上げながら弥五を今度は肩車してやった。
すると弥五は「うわぁ、しらたきやあ、しらたきがおるぅ、おるわあ兄貴ィ、こっちゃ気付かへんかなあ」と手を振ったものだから、俺は即座に弥五を下ろした。
「もうちょいええやんか」と残念がる弥五に「まあ今日はこの辺にしとこ」と笑いを抑えながら言い二人はまた割烹屋「山羊の角」に向けて足を歩かせてみた。
すると今度も寅三は「山羊の角」にはいてなかった。俺と弥五はせっかくだから、と軽くそこで飯を済ませ、ついでにちょうどよい、と山羊の親爺に紙と筆貸してくれと言い忙しい合間をぬって持って来てくれた紙に筆で寅三への手紙を書いた。
国の赤阪村字水分てェところへしばし帰る。すぐ戻る。心配無用。弟と一緒だよ。しらたき頼むね。くまやんとやごより。と書こうとして「いや、わいの名前いらんやろ」と弥五が言うのでくまやんとやごより、の「とやご」の部分を黒く塗りつぶした。
宿に帰って手紙を一番目立つ場所、戸を開けて目の前にどでん、と寄せた米櫃の上に手紙を置いて、これで大丈夫や、これで大事無い。と二回同じことを言って俺と弥五郎の二人連れはでんでん、どどど、でんどどど、と何の歌かわからない歌を口ずさみながら宵も暮れ行く秋虫のチリリンチロロンチリチロロンと鳴く中、ええね、ええな、と言いながら躍然と足取りを進まし。
これによりて両人は、生国、河内国石川郡赤阪村字水分に帰郷すことと相成った。てんてんどんどんてんどんどん。