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天の白滝 四十九

池田のおやっさん方の店に俺と弥五郎が入った途端「お?熊はんやないかいな、おまはん長らく見かけんかったやないか」と池田専太郎は台越しに声をかけてきた。
「おお池田のおっさん、そりゃなんでかちゅうとわしは村を離れとったんじゃ、村おらなんだら飲みにこられんやろ、今日は飲みにこなんだ分飲んだるさかいっちゅうのは冗談やけどもね、まあ帰郷の疲れを癒すには酒が一番かなちう話なてね、飲みにきたんやん」
「そうだっか、そうだっか、それはよろしい話でおまんがな」と浅くにやついた顔で言うなり池田のおっさんは一升瓶を後ろの棚から持ってきて俺と弥五郎に盃を出して注ごうとしたのを俺は「やっぱりちょう腹が減ってるからなんか先ィ頼むわ」と言い、これを受けて池田のおっさんは「おっと、それやたらなんでもよろしいんか、なんか造てくるわ」と言って何かをこしらえに厨に立って魚をさばき出した。
そうしておとなしく池田の親ッさんの料理が出来上がるのを待っている間、俺は心を無にすることを心がけていた、弥五が何故だか店へ入るなり何か考え込んでいるのか黙り込んでしまったからである。俺は一升瓶を持ち上げて「やっぱ先ィ飲んどくわ」と池田のおっさんに告げると弥五の盃に注いで自分のにも注いだ。弥五がおもむろに言葉を発した。
「ここ去んだら、わい早速山仕事してこよかいな」
「おいおい、そない焦らんでもええんちゃうけ、今日は仰山歩いたし疲れ溜まっとるやろ、あいたでええやんけ」と応えながら俺は、弥五は早く稼ぎに稼いで照を身請けしようとでも考えておるのだろうかと思った。
すると弥五は藪から棒わいつらいっすわ、かなんわ、みたいな顔になって「わい、なんや居ても立ってもいられひんわ」と言った。
大抵ならここで「おまえさん、その事情をおいらに詳しくゆうておくんなせよ」とでも言うのかもしれない、しかし俺はそう問いただすことはしなかった。
「まあな、まあね、俺もゆうと、まあ同じようなき持ちやね」と俺は言ったのである。何故か、それはここで俺が「一体全体なんで?どうして?何があって居ても立ってもおられないのかその訳を聴かしちゃあくれねえやろかい?ええ?ええぃ?」などと聞き尽くしてしまうのは兄貴として格好がつかない、兄貴としての面子が廃ってしまう。だからここで兄貴は堂々と「よし、おまえの言いたいことはもう俺にはわかってるんだよ、だから話すこたあないさ、しかしお前が話したいなら聞くから何時間でも話しなさいな、とそんな場合ではないんやな、なら早く山仕事へ向かえばよいさ弟よ」というつもりで兄貴としての矜持を持ち、弥五の気持ちはいざ知らずとてそんなことを俺は言ったのである。すると弥五はそれにこう事を返した。
「ほんまか、兄貴もおんのか、好いとる女」とこう言いやがったのである。しゃあないから俺はそこで「おお?おん、おお、おるわ、おるで?ひとりだけな」と応えるしかなかった。
「ほんまけ、知らんかたわ、兄貴はしらたきのことだけで頭いっぱいなんやおもてたからに」
俺はそれを聞いて悲しくなってしまった。なぜかというと俺は好きな女おる、と答えた瞬間、しらたきの顔が浮かんでしまったからである。弥五の言うとおり俺はしらたきのことでいつも頭がいっぱいなのであって、しらたきと離れ離れになってから俺は遊郭にちょいと行きたいな、などという気持ちもさっぱりなくなったし女とどうたらこうたらという欲望すら飛んでいったのである。しかしここでほんまのことを弥五に言う訳にはいかないであろう、俺の好いとる女はな、しらたきや、などとゆうた日には、弥五郎は俺から去っていくかも知れず。しかし待てよ、とも思う、だいたい弥五はあの日揚屋におったしらたきが実は俺の娘であると言うてもかたきし信じようとしなかったが、弥五はこれいつ俺の娘がいきなしでっかくなっていたということを信じたのであろうか。あの時かな、しらたきが弥五の背中を刺した瞬間かな、普通見ず知らずの男を守るために何も知らない娘があのような殺傷は起こさない。それとも未だにやや俺としらたきの話を怪しんでおるのかもしれない。まあ確かに幽霊の存在ですら見たことがないから信じないと言う弥五郎がまだほんの幼児であったしらたきが突如成人した姿に変わっていたという話を信じるにはこれなかなか難しいであろう。そんなことを考えながら「おやっさん、飯はまだか」と呼びながらちょっと誤魔化したりなんかしながら弥五は酒を飲みたがらず、一人で酒を飲んでいると、聞き覚えのある声に戸の方から呼ばれたような気がした。
俺と弥五郎は首を約45度ほど曲げて同時に左を向いた。そこには開いた戸のところに掛かっている暖簾の隙間から半身を覗かせてへらへら笑ってはいるが異常に二枚目なこと夥し過ぎる男、寅三が俺に向かって「はははは、熊やんおったあ」と言った。
何ゆえにここに、水分村に寅三がおるのか、と俺と弥五はびっくりした。すると寅三は演技がましく「やあやあやあ、あなたさんたち、よくもわたくしを置いて黙って行きさらしておくんなしたわね」と賢そうなその顔立ちでへらへら言うのである。それに合わして俺が「ばっ、ばばばばばば、ばばばばれたかあっ」と言いながらドタッと大げさに椅子から立ち上がり驚愕したそぶりをしながら応えた。その時手が当たって盃がこれ床下に転落してしまい、チャリンッと音立てて勇ましく割れた、その音を聞きつけて勝手方から走ってきた池田の親っさんに叱られた。
落ち着いて寅三の話を聞くと、寅三はもともと最初から水分に行く気はなかったのだが、丁度三日後に伊勢へ行く用事が出来、それまでのたちもり暇が開いてしまったということが分かり、ならば水分という場所にわいも行ってみてもよいかもしれないと思い今朝に着いて運がよければ熊やんと会えるや知れんとぶらぶらと探していたところであった、とこないなわけであった。
それを聞いた俺は「よう来てくれた、よう会えたで、まあ村は狭いがよくぞ会えたよな、な、な、な」と場を盛り上げたいと思ったが、弥五郎は特にこの状況があまり嬉しくもないようであった。
しかしこの後、俺と寅三は博奕に行ったろうかという話しになったとき弥五も一緒に行こうでと言うと少し考えてから弥五は「ほなわいも行こかいな」となり、店を出ようと勘定を池田のおっさんに言うと「ほな、ツケ合わしてと、三円と五十七銭やな」と言われて「ちゃっ、そんな借ィとったかいの、ほんま愛想がええわ」と不服そうに払いながら、三人は池田方を出て、これを近場の博奕場へと向い遊びに行ったのであった。

博奕場を出たときすでに宵は過ぎかけていた、心地のよい暗がりの中で俺は上機嫌であった。二十三円もの銭を勝ってしまったからである。調子がええときはこうゆうもんや、俺は三円ほど負けて悔しがっている寅三に向かって「な?ゆうたやろ?俺勝つときは勝つんにゃ、けど負けるときはなんにゃ威勢良う負けんにゃわ、ははははは」とゆうと寅三は妙に感心した様子で俺の横へ並んで言った。
「ほんまやわ、熊やんこれまで博奕一本でやてきたゆうとったもんなぁ、大したもんやで、わいも見習わせてもらおかな」
「そうはゆうけろ、われ、甘い話とちゃいまんで、今日食う飯稼ぐんに命懸けで博奕してみい、たぶん野良仕事と変わらんくらいィ疲れんで、神経ごっつう使うさかいのお、後へとへとなんにゃ、しんどいで?ほんま博奕一本ちゅうのは」
「せやろね、そう思たらわいは楽な仕事しとるかもしれんなあ」
「えらい仕事でそない遠方まで行くんやの」
「せやね、あちこちでうまい話見つけてくんねん、で今回伊勢参りがてらに行こおもてんねけろ、兄貴一緒にどないやね、兄貴てゆうてもたな、はは、なんやゆいたくなるな、まあええかわいは熊やんて呼ぶかな、熊やんも伊勢ィ行かへん?」
「伊勢かあ、ええなぁ、行てみたいなあ、弥五あいつ行かへんかな」
「弥五やんも呼ぼうや、三人で行たほうが楽しいやんかいさ」
弥五がここにいないのは、博奕をしている最中に「やっぱわいちょこっとだけれも仕事してくるさかい去ぬわ、すまん兄貴、仕事すんだら兄貴ンち行たらええのんけ」と言うので「ほしたら、そやな、今晩は俺ンちィ泊まったらどや」っつうたら「ほたそなさいてもらうわ」ゆうて早々賭場を出て行ったからである。がんばり屋さんやな、弥五郎は、惚れた女の為にそないして遊びもろくに遊ばんとそなして銭を、それも山仕事なんちゅたらはした銭ほどしかなんぼ働いてももらわれんのとちゃうか、知らんけれども、それをああして稼ぎに行く弥五郎は偉いやっちゃ、ああ、それにつけて俺は何なんや、なんかいなあ、情けないなあ。と俺は挫けてしまう。俺も弥五郎みたいになりたかった、弥五郎みたいに働けなんでも寅三のように利口な頭さえ持っていれば仕事もなんなとこなせたのかもしれない。俺は弥五郎のようなからだを動かして働く意欲、持続力のようなものも、寅三のような商売に関して良く回る明敏な頭脳も持ち合わせていない。だから俺は博奕しかできない、だから俺は博奕しかやってこなかった。しかし、俺はしらたきが俺のところに戻ってこれたならば、もう一度俺は仕事と言うものをやってみたい。人目を憚らずしてしっかりと四つ相撲で稼いできた銭で買うてきた食材で晩飯を作って、しらたきと一緒に卓袱台を囲んで食いたいな、そんな毎日が続くことが、ほんまの幸せっちゅうやっちゃろな。できるんかなぁ、俺。できたいなぁ、できたらええなぁ。などと考えて歩いていると横から寅三が話しかけてきた。
「今晩はなんかようさん買うてって熊やんちで盛大にやてこましたらなあきまへんのとちゃいます」
「それって素敵ね、素敵だわ、そうひまひょ、そうひまぴょうよ」と応えると俺と寅三は肩を組んで「ばまりこんだ世界へ行ってきてえー、そこの知らないおうちで盛大なご馳走呼ばれたよー、そこの主が狐か狸か知らずにね、知らずにね、知らずにね、呼ばれた明くる朝ァ、気付けやトンボを追いかけてたわー、はらひれはれー、明日も晴れやねぇ」という誰のはやり歌か知らんがそんな歌を寅三と一緒に歌いながら夜道を歩いた。と歌いながらここに弥五がおればなあと惜しい気持ちになった、それに、しらたきがおってくれたらな、こんな楽しいことはないかな、しらたき、どないしてるやろな、寅三があの家にいないことでなんとなく心配である。
見上げたら月が明るかった。月が明るい晩、それだけで俺は切なくなってしまう。


天の白滝 四十八

女を好きになる心情と、人を恨む心情、これはまるっきり正反対に思える心情で、その二つの対極なる思いに駆られ、さぞや苦しんでおるだろう弥五郎の胸中を俺は惟いながらその晩は照という娘が部屋を去った後も二人報復の話は持ち出さなかった。

明朝、弥五郎に起こされた俺は起きると、あれ?と思った。
すっかり邪気が抜けきったというような弥五の顔がそこにあったからである。にこにことしながら「兄貴、おあようさん」と言う弥五の頬は小児のようにふくふくとさえしておった。これは何事や、と俺は思わなかった、何故なら昨夜の弥五と照の互いに恥らう姿を見て二人の間に大きな人生の途中稀に訪れる果報が参ったことを知ったからだ。しかし、その前に敵を討つとあれほど士気高く気組みしておった弥五が一晩でこんなに変わるものだろうかと、もしやこのにこやかな顔で「兄貴、これから復讐いてこましたら」などと笑って言われたらどないしょうと怪訝しながら弥五の顔をまじまじと見ておる俺に弥五が真面目な顔で信じられないことを言い放った。
「兄貴、今更こんなことゆうのもなんやけろ、仇討つちゅう話、少しわいィ預けたってくれへんか」
俺はそれを聞いて、瞬時にして二つの考えが浮かんだ、一つは純一無雑に弥五のあんなに燃え盛っていた復讐の念を照の存在が一夜にしてふっと蝋燭の灯を吹き消すかのように消し去ったのか、という考え、もう一つは弥五はこんなことを言って実はやっぱり俺に迷惑をかけたくないという気持ちが強まり、または俺が殺すのはやめろと誡めた事で一人で殺るしかないと不退転の決意を成し遂げようとしてこんなことを言っているのではないのかと思ったのである。前者であれば俺は全然良いのである、寧ろその劇変事態を大いに讃して二人で日がな一日狂喜乱舞してひょっとこ踊りをずっとやっていたいくらいなのだが、もし後者である場合俺は悲しい、またそうやって弥五を疑ってしまうこの腹の内もとても悲しいことである。そんな考えが一瞬にして浮かんだ俺はなんと返事をするかと迷っていると弥五郎は本腰になって続けて言った。
「兄貴にはほんますまんと思とる、許してくれ、この通り」と言うと弥五郎は畳に頭を伏せようとしたから俺はすかさず弥五の肩を掴んでそれを止めた。
「待ちや、あんな、俺はわれが仇討ちを諦めたちうならそない嬉しいことはあらひんにゃで、しゃあさかいそれやたらなに謝ることなんかないがな、しゃあろ」
「そうなんけ、兄貴、けどすまん、男として失格や、わい、一度決めたこと覆してもうて」
「阿呆、そんなん気にすんな、俺がええゆうてんねからええねや、それより俺が心配してんはな、おまえが一人で報復してまいよらへんかちうことだけなんにゃ」
「そないな心配いらへんが兄貴、わいもうそないことは考えひんさかい、それは信じてくれや」
「なら安心にゃ、信じとるさかいな、ああ、安心して腹減てきたわ」
「朝飯食うてはよ去のうで」
「せやな、そないしょ」
朝飯を頼んでこれをちゃっちゃっと食らい終わると二人は宿を出て、水分に向かいて道程をずんずん進んだ。弥五は帰るまでには一日は要すると言っていたが水分に着くに半日あれば十分でどこにも寄らないで歩いたらば七時間強はあれば着くぐらいの距離であった。と言っても徒歩で七時間強の距離は気軽に行ったり来たりできる距離とは言えないがさして遠いという距離でもないということがわかった。ゆうても同じ河内と呼ばれる場所であったし、先ほど出た宿からは四時間ほどで着いてその近さに少しく驚き安堵旅の疲労を感じながらも俺と弥五郎両人は無事水分村に到着した。
何箇月振りの故郷であろうか、水分を離れ、一年も経っていないが妙に懐かしく感じるもので生まれ育った場所に久方振りに帰って来た俺はそこでゆくりなく烈しい苦しみにとらわれた。俺はこの国をずっと離れなかった理由を思い出した。俺は何度かこの地を離れて暮らしたいと思ったことがあった。ここにいると目に入るものはすべて俺の一番苦しいことを思い出させるからだ、ありとあらゆるものが俺の苦しみとなった、様々のものが俺に家族を殺してしまった、二度と戻ってやり直すことはできないという悲しみを起こすものとして俺の目に映るようになった。忘れたいとは思っていないからそれでいいのだろうが、そのことで耐え切れなくなった時に幾度も俺はこの地さえ離れたら今より楽になるのではないかと思い離れようかと考えた。しかしすぐ後には何処へ行っても同じであると気づくのだった、何故ならそれはこの地に在るものに限ったことでなく、たとえばこの頭上に広がる空、万物何処にでも起こりうるであろう現象、雨が降る、冬には雪が降る、春には桜が咲いて散る、などのものを見ても俺は思い出すからである、そんなものは何処に行っても目に着くし、空がない場所なんて場所はない、てことはどこへ逃げようと同じなので俺は離れることもしなかった。しかし一旦離れてみて戻ってきた今のこの苦しみは何かというと俺は此処を離れていた時に結構忘れて暮らすことができていたということではないのか、だから帰ってきて懐かしいものが俺に与える苦しみに相当打ちのめされているこの現状に俺は剰え打ちのめされて悲しんでいる。それと俺はしらたきに此処で出遭えたからこの地で生きて行けたのかもしれない。今はしらたきのいないこの水分に俺が立っているという現実が耐えられない、しらたきのいない水分は、俺とこの水分を二者の関係に縛り付けてしまうのだろう、俺はもうその二つの関係性の呪縛された場所では生きてゆけない、恐ろしすぎる、俺はよくここであれから一人で暮らしていたものだ、今考えると考えられない、家から少し歩くとあの血の跡がまだ残っている自家が見えるのである。恐ろしい、過去の自分に向き合おうとすると恐ろしくてたまらなくなる、そしてたまらなく悲しい、あの家の傍はもう通りたくない。そう思った俺はこの道を進んでしまうと自家の前を通らざるをえないので左に並んで歩きながらほふほふした顔の弥五に向かって「ちょうあちから行かへん」といいながら親指を右の脇道の方へと指した。
「おぅっ」と応えて、きっと頭の中は照のことで頭が一杯なのであろう何も訝らず弥五郎は俺の提案に応諾した。一度頭が過去へと向かうと止まらなくなってあの夜の手についた血の色や血でぬるついた手で小刀を握り締めていたあの感触まで生々しく思い出してしまう為に俺はその過去の時間から必死に歯を食いしばりながら現在の俺に戻すように頭の内部で死闘した。道の両側にはもう背の高い薄がゆらゆらと揺れていて、俺はそれを見ながらその薄だけを頭の中に生やすことだけを考えた、薄がゆらゆら揺れてる、薄がゆらゆら揺れてる、薄がゆらゆら揺れてる、と念仏のように心の内で唱えた。
「え?何が揺れてるて?」と弥五が聞いた。俺は知らん間に声に出して薄がゆらゆら揺れてると言ってしまっていたのである。しまった、なんと言おうと思って咄嗟に「ユーレーッテルン」といった。
「え?幽霊が照やて?」と照のことしか頭にないものだから弥五はなんでも照に結び付けたがる。
「ちゃうがな、幽霊、ってるんかな、いるんかな、おるんかなっちゅうたんやんけ」と強引に変えてみた。
「さあー、おらんのとちゃうかあ」といい加減に弥五が応えた。
「しゃあけろ、おるかもしれんやん?」
「そうかなぁ、おんのかなぁ、見たことないさかいおったら見えへんの可笑しいやんけ」
「見える人には見えるちゅうやんけ」
「それやたらわいも見えるようなりたいわ」
「なんでわれ幽霊見えるようなりたいんにゃ」
「なんかおもろそうやんけ、見えたら」
「夜中にうらめしやて出てくんにゃで、くわいことあらへんのけ」
「くわいことはないかもなあ、見てみなわからひんが、うらめしやて出てきたら、われ誰がうらめしいんにゃて聞いたるわ」
「ははっ、ふつうに会話するわけやね、ほて聞いて誰々がうらめしいわちいよたらどないすんにゃ」
「ほたら、よし、わあった、わいが怨み晴らしたるさかい五十円でどやちゅうんや」
「幽霊相手に商売すんのけ、われえらいのお、しゃあけろ幽霊て銭持っとるんけ」
「持ってひんのかなぁ、持ってそうな感じするけろなあ」
「でも銭持てあの世行かれひんてようゆうにゃん」
「あ、ほんまやな、ほな一文無しかあ」
「たぶんそうとちゃうかなあ」
「ほな、話ィならんわ、ははは」
「ほんまやの、ははははは」
するとそのとき俺の右肩にどさっと何かが乗った感触がして、わあぁっと叫んだ。
振り返るとそこには意地の悪い笑みを浮かべた駒太郎が立っていた。
「いひひひ、熊、おまどっか行とたんけ、家覗いても蛻の殻やたさかい夜逃げでもしたんちゃうけて村で噂立っとんど」
「おお駒やん、久方やのお、いやね、夜逃げとちゃうよ、まあ深い訳があての、ちょう家出ることになてね」
「なにゃ、遠くィ嫁ぎにでも行たんけ」
「なんでやねん、まあでもそれィ似た感じかな」
「どゆこちゃ、ほんでここ戻てこんのけ」
「いや、戻てくると思うよ、てか今戻ってるよ」
「ほうけ、話ゆくら聞きたいけろ今時間ないよってまた会たら聞かしたってや」
「おう、わあたわあた」
駒太郎は弥五郎に手を上げてほな、と交わし小走りでひょかひょかと走っていった。
駒太郎っちゅう男は弥五郎と知り合う前の餓鬼ん頃からの仲であるが、駒太郎に限ったことでないが村の者に道でばったり会ったりすると少しく緊張してしまうのであった。それも昔からの話であるが、俺が家族を殺してしまったことをみんなに黙っているからということ以前に、俺はもともと人と話しをすることが大の苦手であって考えてること思ったことをうまく言葉に表して人と話すことができない性格であるから、極力的に村のもんとさえ話すことは避けてきたのである。しかし最近俺は寅三と、この弥五郎と親しくなったがそういえば二人と話すときにはそれほどは緊張しない、言葉もいつもより滑らかに出るような気がする、これはなんでなのだろう、弥五郎と寅三が俺を慕っているからだろうか、俺はそれまで人に慕われるなんてことはなかったように思う、兎にも角にも俺は弥五郎と寅三の前では気兼ねなくいることができる、これは俺にとって実に嬉しき事である、今まではしらたきの前でだけそうしておれたのだが、今はしらたきに会うと変に緊張してなにを話していいのやらと頭の中がてんやわんやとなってしまう、これはなんでかというとしらたきが俺の記憶をすっかりとなくしてしまったからで、しらたきにとって俺はただの他人なんやと思うことで自信をなくしてしまってそうなるのであろう、ああ悲しいな、悲しいことだなあ、早く俺のこと思い出してほしいなあ、と思いながら歩いていると俺の家が見えてきた。
うわ、俺ンちやわ、懐かしいな、と思って歩幅を広めて歩いた。
「兄貴ンちや、兎元気でおるかなあ」と弥五が言うと俺はどきどきした、兎活きてろよ、生きてろよ、と心で祈りながら家の前に着いて、庭の柵の中を俺は覗いた。
そこには俺の知っている生き物とはまったく違う生き物が我が物顔で寝そべっていた。
「誰、こいつ」と俺は言った。
「わはははははは、兄貴驚かしたろおもて言わんかったんにゃ、だははっ」と弥五が馬鹿笑いをした。
「え?マジで?うそやろ?」と俺は目を丸くした。
俺がこの家を離れていた期間は多分四ヶ月かそこらのはずである、その四ヶ月の間にこの生き物は八倍ほどの大きさに成長していたのである。信じられん、もしかして別の兎がここに居座っているのじゃないのかと近くに行って確かめようとしたが、確かめようにも兎の顔なんてみな同じであろう、真ッ茶色の兎と兎が入れ替わったところでどいつがどいつかなどとわかるはずもない。俺は兎を抱っこしようとして掴みかけたら、兎はぶんわぁあっと暴れ倒して腕を引っ掻かいて小屋の中に逃げこんだ、ものすごく凶暴になってる、もうこいつ逃がそうかなと思った、それか小さい兎をまた見つけてきて、それをしらたきにこいつあの兎やでと言おうかなと思った、そんなことをしてもまた四ヶ月経てば同じ大きさになってしまう。俺は諦めてこの暴れ兎、名前、ぼおう、にしようかなと思いつつ、いいづらいな、ぼう、でいいかなと考えつつ一先ず兎は庭に置いといて、ちょう旅疲れを癒してこまそか、と弥五とちょくちょく飲みに行っていた池田専太郎というおやっさんの店へ二人して行ってこましたろうという話しになり、まだ宵前であるにもかかわらず俺と弥五郎は水分の村で浮き立つ足揃え飲みに行ったのであった。