天の白滝 五十五

そう思って寂しくもなるが、年が明けたからだろうか、寂しいだけで終わらることもない、今年は昨年と違いしらたきともっと会える機に恵まれるやもしれん、そしていつしかしらたきは俺のことを完全に思い出し、これまでのように共に暮らせる日が来るかもしれんし、と年明け早々小心でいてしまっては来るものも来なくなってしまうしと思って、そんなことを思いながら俺を慕い続けてくれる男弥五郎と酒を飲んでいると、寅三がやってきた。
戸を開けるなり寅三は「あけましたかな」と聞いたので、俺が「開いとるよ」と応えたら「あー、それはよかった、あいたィ開いたらば会いたいわぁって思っててんか、てああ、もうあいてたんか、ははは、年明いてたんやね、はは、ってあれ、弥五はんやな?なあんで弥五はんがここにおんね、ヤゴゆうたら田んぼにおったけどなぁ、あっれぇおっかしいなぁ」という寅三を見て「もう寅三はできあがっとるな」とぼそっと弥五郎は言って「ほな、あれか、寅はそこやね、どこや、虎はどこやね」と土間によらっと立っている寅三に向かい合って聞くとそれに寅三が応える。
「寅は印度にいんど」
「ほな印度にいんどれや、寅」
「嫌です、わたくしはここにいたいのです、そしてみなさんで酒を飲みたかったのです」
「おお、寅ちゃんも酒買うてきてくれたんけ、おきにおおきに、せやたらはよ上がってきて飲もぅや」
「うん、いまに上がってくるよ」
そう言うなり上がってきた寅三は一升瓶を床に置き「開けましてっと」と云いながら栓を抜いて俺と弥五郎と自分の湯呑に「おー」と言いつつ注ぐと「めでとうさん」と湯呑を三人で合わして飲んだ。寅三の酒も負けじと劣らず美味い。
湯呑一杯の酒を飲み干すと弥五が徐に「どないする、これから恵方詣りにでもいてこますけ」と聞いてきた。それに寅三が寝そべりながら、吸っていた煙管の雁首で煙草盆の縁をカンッと叩いて、煙管の吸い口を弥五郎に向けてうん、と肯き「ええね」と応えた。煙管を寅三から受け取って旨そうに呑むと弥五郎は「兄貴、どや」とまた聞いた。俺はそれに考え込む姿勢をとり「うーん、まあなぁ、俺実はな、ぶっちゃけてゆうてしもたほうがええな」と勿体をつけてから言った。
「俺はね、先ィ風呂へ参りたいなぁて思うねんね、垢が七分ほど積とるさかいな」「ほな、風呂ィ参ろう、でそのままの格好で恵方詣たらええんちゃう」と寅三が笑いながら言う。「素っ裸で神さんに詣るんか」
「いひゃひゃ、そう、熊やんだけな」
「ははは、兄貴それがええわ、まあ褌だけはしていきぃな」
「いやいや、さぶいやん、てそれ以外に問題が大事あるやん」
「ないない、熊やんにはないて、ひゃひゃひゃひゃ」と寅三がおちょくる。そうしてふざけながら三人でまずは風呂屋へと出向くと、風呂屋は空いていた。三人で入るには大分と狭いが、誰一人この寒さの中外で待ちたがらず、無理に三人で入りこました。温かい湯に浸かっていると心地が良いあまりに俺はしらたきのことばかり考えてしまうのだった。そんな中俺は変なことが気に掛かった。心がのぼせているため何一つ躊躇せず途端寅三に尋ねた。
「なあ寅ちゃん」
「うん?」と足の垢を熱心に擦りながら寅三は俺を見た。
「いやな、年が明けた瞬間、しらたきは一体誰の顔を最初に見たんかなあて思てね」
「きひひ、うーんそやなぁ、ちょう思い出すさかい待っててや」
俺は寅三の顔に目を凝らして返事を待った。
その時、弥五郎が「わいも入ってええか」と言い狭い湯船に入ってきた。「そんなご無体な」と言うに弥五郎は出て行ってくれないので俺は足だけを浸けて湯桁に腰を掛けた。寅三が急に声を上げた。
「あっ」
「なんや」と俺が聞くと寅三は半笑いで「あーそうそうそう、確かね、あっちの方角やろ、あーあーうん、間違いあらひん」
「なんが間違いあらひんね」
「熊やんの家の方角見とったわ、確か、しらたきちゃん」
「ほんま、ほんまに、ほんまか」と俺は声が弾むまえに幸福感で満たされて低い声で何度かそう確かめた。酷く曖昧模糊たる寅三の記憶に俺は満足してしまったのである。阿呆やん、阿呆やん、完璧て自分でも思ったが、それは俺の体の表面をなげえこと蔓延らせしめていた垢が散り散りとなって俺から飛び離れていきよった、ことで俺を同時にせしめていた虚勢なるものも程なくしてチリヂリ、と啼いて湯に溶けていったのだろうか。知らんけれども。
身を清め終わると三人は風呂屋を出た。出た時の体に当たる寒風の寒いの寒くないの、って寒かったから、ああこれは湯冷めをするなと思って湯冷め三昧で恵方詣りとなる。まあ正月のっけから風邪でぶっ倒れてしまうのも面白いのかもしれない、弥五と寅三は気にしない風だから俺も気にせず向かうが、俺は歩きながら風呂から上がったときによく、ゆじゃめ、ゆじゃめとしらたきと走りまわしながら言っていたことを思い出して懐かしくなる。
それはそうと風呂屋から出たら寅三が手拭を鼻の下で結んだ盗人被りをして歩いているから「それはいったいなんの真似やね」と聞いたら「ふふん、わいは今から義賊になんねんてゆうのんは嘘やでん」と言うから「やねん、とやでが一緒なったあるね」と云うと「そう、一緒んなたさかいわいはもうこうする」と言いこんだは鼻から下を全部覆った鉄火被りをした。弥五がそれに「もうそうなったらこれをこうしたらええんちゃうけ」と手拭を寅三の目の部分に巻いて後ろで結んだ。
「あれ、暗いなあ、おかしいなあ」と言いながらふらふらして歩いているのを後ろから見て俺と弥五郎はかははと笑っていたら、後ろのほうから突然「城戸はんやないですか」と声を掛けられて、俺はびっくうっとした。あ、この声はまさか、と思ってたじろぎながら振り返ってみれば、そこにはなんとも華やかな晴着を着せてもらってきょとんとした顔のしらたきがおった、とその隣には壮健に恭しくも泬寥ほとばしったというようなあの辰次郎が立っていたので俺は驚いた。そしてその周りにも誰か松河の者がおるかと見渡したが、誰もいてなかったことに俺の少しく上がって来ようとしていた内海域が一瞬にして退潮みたいな感じになった。て、ことは、この二人は、二人で恵方詣りに向かおうとしているのか、もう既に参った帰りなのか、二人で、何で二人で、また、と俺は情けないほどに銷魂して、辰次郎の存在に圧せられて倒れ臥す心境になった。
「ああ、やっぱり城戸はんでひたか、いやぁ、お久しゅうございました、お元気でいはられましたか」と気取りなく声を掛けてくる辰次郎に俺は息を詰まらせるようにして応えた。
「やあや、ああこれはこれは、辰次郎はんやおまへんか、久しいもんでんな、いやあ、わいは元気でおりまんなあ、ははは」
「そりゃあよろしいことです、あ、もしかして城戸はんもこれから恵方詣りへ行きなさるか」
「あ、ぅいやぁ、そうでもないでんねん、まあ新年の中をぶらぶらとしておったんでふわ」
「左様でしたか、ほなお邪魔となってはいけませんね、うちらはこれから詣りに行くところなんです、ではまたお会いしましょう」
「へえ、さいでんな、ほなまた」と俺が返すと辰次郎は俺と弥五郎、後ろのほうにいる誰なのか分からない変な男に向かって会釈するとしらたきの手を優しく引いて通り過ぎて行った。しらたきはどうしてかずっと俯いていたので、目を合わす閑もなかった。突如投げられた投網に捕まって惘然となっている魚のようになった俺に海にいる仲間が呼びかけた。
「兄貴、誰やねんあの男、しらたきの手ェ握っとったど」しらたきの手を握っとったど、しらたきの、手を握っていた、握っていた、俺のしらたきの手を、と頭で復誦しているとやがて漁師の手が俺の体を握って捌くかとするから、俺は弥五郎と言う弟魚に応える。
「うん、あの人はな、寅三の兄でな、辰次郎っちゅう人やで」俺は必死に頭の中で身悶えた。捌かれたくない、何故なら捌く漁師の顔が辰次郎に思えてしまうからで、俺は海へ戻りたい、帰りたい、しかし待てよ、しらたきがいるのはどこや、海か、それとも、この漁師の家か、漁師の別の網の中だったらばどないする、俺は助けに行かんければならん!と俺は俎板の上の鯉から化して、なにになるのがええのかと思った俺は何故か俎板に乗った鰤が浮かんだ、ただ少し大きくなったというだけで、これでは捌かれるに違いない。
「ほおー、寅三の兄貴か、寅三も兄貴分おったんやな」という弟魚にずっと後ろを向いておった寅三という魚が来て「ちゃうがな、わいのほんまの兄貴やちゅうねん」「なんや、そうなんけ」と興味ないような弥五魚。やごうお。
「ああー、ばれんでよかたわ、ばれたらええことないさかいの」
「なんでばれたらええことないねん」
「いやあ、なんでてわいと熊やんが連んでんのんうちのもんィ見つかたら親が口喧しいなるんわあってるんや」
「しゃあから手拭かぶて顔隠しとったんけ」
「そうでんがな、弥五ちゃんさすが話しわかる男や」
「まあなんでもええけろも、兄貴がさきからちょうおかしないけ、なんやぶつぶつゆうとる」
「うん、熊やんおかしなったな」
弥五郎と寅三が話している間に俺はいくら考えてもええ魚になれんかった。俎板にのった太刀魚、俎板にのった笠子、俎板にのった昆布、若芽、俎板にのった鉄鎚、俎板にのった黒豆、俎板にのった元徳、後醍醐天皇、俎板にのった活力、俎板にのったらてんてこ舞い、俎板に乗った普遍。だんだんと変なものが俎板の上にのるので、もう俺は疲れ切ってしまった。俺は漁師が他の僚船に呼ばれて顔を上げるを見計らってぺちぃっと飛んでちゃつぽんと海へなんとか掻い潜ること成功。仲間のいる海へ戻ってこれた、夜の海、暗くさぶいのだけれども。
「さっ、ほな行きまひょか」となんでもない振りをして、道を進んだ。「おうっ」と寅三と弥五郎が地面を蹴る音はまるで韻を踏むように響く。
おれのぢごくに、冬篭り、という言葉が何故か浮かんだ。まったく韻を踏んでいない。
天体の出没を、地獄にて待つ。というのも踏まない。待ちて。金の松が殪れる方角を踏んではならぬ。踏んで待つ。待つ河。俺は踏んでいる方角を危ぶんだ。

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