天の白滝 五十六

行くっつっても、恵方詣りをする神社は辰次郎がしらたきを連れて向かった神社と同じ神社ではないのか。だとするとまた顔を合わすかもしれない。辰次郎とまた顔を合わすのは甚だ心苦しいが、しらたきの姿はもう一度この目で見たい、そう思った俺は寅三に、辰次郎が向かった神社と同じ神社へ俺らは行こうとしているのかを聞いてみた。
「まあ、別の神社もあることにゃあんねけどね、あこの神社が一番本場ちゅうたら本場かな」
「よし、ほな寅ちゃん、われは兄さんに見つからんように俺の後ろ歩いとき」
「へい、兄貴」
「ほんで弥五ちゃん、われは俺のまァ前を歩いてや」
「しゃあけろ兄貴、さいぜんわいの顔見られたやんけ、わいが見つかればわいの後ろィは兄貴がおるとばれたも同じィなれへんけ」
「あ、ほんまやな、ほんまやわ、ほなどないしょ」俺は弥五郎に尤もなことを言われてあぐねっていると寅三が賢そうな顔で妙案を唱えた。
「ほなこないせえへん、わいらは表通りからは行かんで裏の山道を通ってくやんか、ほいで木の陰から辰次郎を探し当てたらええねん、ほしたら辰次郎から見つかる前にわいらは隠れたらええちゅう話しやん」
「ほんまや、それええわ、それで行こ、山道がええわ、山道に賛同や」
そう言って俺と弥五郎と寅三は暗い山道から回り道を経て、辰次郎の在処を突き止めるべく獣道を通って向かった。
獣道がなければおのずとから脇差を抜いて、しゃっ、しゃっ、と豪放磊落と草木を刈りながら進む。なんてなことはせず、酒の尾がまだ引いている男三人はへらへらと、いつつつっ、とか、おわっ、とか、なんやこれ、などと口々に発し、またはひゃっぷんしょいっ、などと豪快なくっしゃみをしながらがさがさごさごさと山道を進んでいった。
そして表通りから少しかみてとなっている山の斜面木の陰から下を窺ってみたら、そこそこの広さを持った道に人々がごった返しておった。人々は何を考えてこんな寒くて暗い夜の内から人の群聚の中に身をこごめながらも向かうのか、斯く斯くの事情に因り、各々の悲境を嘆いて深刻な思いで祈願しに行こうとしているのか、それとも徒、祭りのような感覚で楽しもうとして古来からまつわる行事に参集しているだけなのか、どちらにしろ哀れな光景である。祭りのように思うのならばもっと楽しそうにしたらいいものを、人々の顔は皆寒さに震え、またなかなか進んでくれないことに腹立ち紛れながら焦燥に充ちているのである。毎年のことなのだから、今年はそんな顔で並ぶのはやめようとは思わないのだろうか。しかしそんな民たちの疲労は俺は知ったこっちゃあない、俺が心配になったのは、こんな中に連れて行かれた人嫌いのしらたきのことを思うと、やりきれない。
俺たちは結構早歩きで歩いたし回り道ではあったが、この混雑の中もう辰次郎としらたきは参って帰ってしまったということはないだろうから、まだ参ってないか、参っていても帰りにまたここを通るときに一目しらたきの姿を目に留めることが出来うるはずである。俺は獲物を探し求める肉食獣のようになって毛が汚なくて黄ばんだような群羊の中から一匹だけ真っ白な羊であるしらたきを探した。
すると俺の右の木から首を伸ばしていた弥五郎が「めったくそやな、わいちょう小便してくるわ」と言って後ろの繁みに行こうとしかけたら寅三も「わいもいてこましたろうかな、熊やんはええか」と言ったので「おう行ってこい、俺はもうちびってもうたさかいええわ」と恥ずかしそうな顔をつくって応えると、寅三と弥五郎は笑いながら二人で小便をしに行った。実のところ俺も小便を我慢していたのだが、俺が用を足している間にもし、しらたきが一番見える場所まで来ていたらと思うと行くに行けず我慢を通すことを決めたのである。弥五郎と寅三に頼んで一人で行くことも出来るが、俺はしらたきの姿を見つけ出す自信が大いにあるのに比して弥五郎と寅三は見つけられないのではないかとうたぐれてしまって任せておけず己に頼るに如くはなしとなって俺は目を血走らせて探した。
すると、どうだろう、見よ!俺の目は真っ白き羊の姿を捉えたのである。すわ、しらたきや、と思った瞬間のことであった。俯いて歩いていたしらたきは顔を上げて俺の立っている地点を刹那、望んだのである。なんで俺がここに立っていることがわかったのだろうか、確かにしらたきの目は俺を一瞬見た。はずである。この幸先のような一事に俺の全身は何かが走りぬけた感覚になった。何か大きなものに走り抜けられたような後の幸運なる心地の中に突っ立っていると、しらたきが俺の見ている中に倒れこんですっと姿を消した。隣にいた辰次郎がしきりに「すえ」と名前を呼んでいる。俺は一目散に下へ斜面を滑りながら降りた。それでしらたきの倒れた場所へ行こうとするのだが人の群れに押されて思いのほか近づくことができない。最初のうちはすんまへん、すんまへん、と謝りながら人の間を無理やり入って行こうとしたが人々は誰一人と足を止めようとせず俺を押しやることしか考えない、俺はそっちがそう来るなら俺もこうすると「どきさらせ」と怒鳴り散らしながら無茶苦茶になって前に進んだ。そうしてなんとかやっとしらたきのところまで来れて俺は身動きがとれずにしらたきを庇うようにして座り込みながら閉口してしまっている辰次郎に向かって「大丈夫かっ」と叫んだ。俺は「城戸はん」と驚いている辰次郎の手から即座しらたきを抱きかかえて思った、どうにか道の端まで行って、そこから危険であるが致し方ない、斜面を上がって行くしかこの狂った猪のように猪突猛進してくる人波から避難することはできない。俺は自分の背中を後ろに向けてどかどかと押されながら端っこに行こうとした、その時である。ものすごい故意の力で責めてくるおっさんにどんとぶつかられて俺は人波も押し退けて打っ倒れた。幸い横倒しに打っ倒れたのでしらたきは無事であった。おかげで道の端まで一気に来られたが、俺はもしこれが横倒しに倒れずしらたきが飛んでって頭を石畳にぶつけるなどしてしらたきが大怪我を負っていたらと思うと、殺意に駆られた俺はしらたきを安全な土の斜面に寝かせ親父に向かって「われ、待たんかい」と怒鳴ってその親父を打ん殴ろうと親父の肩を思い切り掴んで振り向かせようとしたその時であった、辰次郎が物凄い手捷さで俺の腕をぐっと掴んでこれを止めさせた。そして静まった荘厳な顔つきで「城戸はん、暴力はあかん」と言った。しかし先に暴力を行ったのはこの親父であり、否、親父だけでない、ここにいる人間全員が暴力であり、もしこの場に俺がいなかったら一体どうなっていたのか、しらたきは人々の無愧なる暴力によって殺されていたのかも知れんのだ、おまえはしらたきが別に死んでも良いと思っているからそんなことが言えるのではないのか、そもそも人が嫌いなしらたきをこんな場所へ連れてきたのはおまえである、おまえがここへしらたきを連れてこなければこんな目にしらたきは合わずとも済んだのだ。俺は何の反省もなく立ち去ろうとする親父よりも目の前に立っている辰次郎のほうに憤恨が移って抑えきれなくなり辰次郎の頬をぶん殴った。しかし殴りつけるまでの瞬間この男はしらたきの命の恩人であることを思い出し、力は大分と緩んだ。それなのに辰次郎は少しく大袈裟ではないのかと思うほど飛んで行った。辰次郎の体が飛んできて将棋倒しのように幾人かが倒れ込んだ。俺は、やってしまった、という気持を抱えるも、しらたきのそばにおりながらしらたきを守れなかった辰次郎の弱さを憎み、俺は振り返って倒れたままのしらたきをおぶると斜面を上った。
しらたきが無事でよかった。しらたきが無事でよかった。しらたきが無事で、ほんまによかった。俺はそのことだけを考えるようにして、しらたきを連れて家に帰った。
家に帰って蒲団を敷いてそこにしらたきを寝かせると、しらたきは目を覚ました。
「気分わるないか」と聞くと「うん」と応え「なんでぼくここにおんのん」と言った。
「おまえ神社参る途中でぶったおれてもうたんや、ほんで俺がおぶって連れ帰ってきたんやで」
「ふーん」
「おまえ人が大嫌いやのにあない仰山おる中歩いて気ィ失ったんちゃうか」
「そうかしれん」
「もうあないな場所は行かんこっちゃで、行きたないてはっきしゆえばええんにゃ、わあたか」
「うん、けろ、行きたいてぼくがゆうたねん」
「ほんまか」
「うん」
「そうか、またなんで、まあええか、もうこりたやろう、もう行かんときや」
「うん」
しらたきは半分蒲団で顔を隠すようにしてそう言った。辰次郎から無理に恵方詣りへしらたきを誘った訳でなかったことを知り、苦々しい場所へ一瞬追いやられたが、それにつけてもこのひととき。幸せの森。そんな言葉がふと浮かんだ。俺はしらたきさえそばにおってくれたら本当に幸せでしかたないんや、なんであの頃はそれがわからんかったんやろう。しらたきを邪魔に思ったことなど一度とてないが、しらたきがいつもおることはもう決定付けられていると思い込んでいた為そのことを幸福とは思わなかったのだろうか。
あっ、と、そうや、この前にしらたきが言いかけてごっつう気になっていた続きの言葉、これ聞かな、と思い出した俺は前に夜道で別れる前にしらたきが言った「ぼくのじんせいないような」という言葉の続きをしらたきに聞いた。
「しらたき、おまえなんかこの前ゆいかけてたことあったやん、なんかぼくのじんせいがなんちゃらかんちゃらとか、あれ、なんてゆおうとしとったんにゃ」
「そんなんゆうたっけ、ぼく」
「おお、ゆうてたで、ちいちゃい声でな、最後に、覚えとらんのか」
「おもいだした、ぼくのじんせいないようなも」
するとその時戸が勢いよくガララッと開いて「おー兄貴ぃ、おおぅ、おおしらたきや、しらたきがおるぅ」と弥五郎がまずでっかい声でゆうて、それをさらに上回るでっかい声で寅三が「あらららららぁ、しらたきちゃん、ははは、ここにおったんですかい、熊やん、やられたね、やられたねぇ」などとふざけてやかましく騒ぐので、しらたきの言葉がまた聞こえなかった。もう、いや。と思ったけど、俺は苦笑しながら「やかましいの帰ってきてもた」としらたきに言うと、しらたきは蒲団の中に顔をひょこっと隠した。
「ちょうやっかましい、しらたきが寝とるさかい」と俺が言うと、二人は顔を見合して片手を顔の前に立てて御免の素振をしながらへこへことそおっと居間に上がってきた。
「また飲んで来たんか」と俺が二人に聞くと二人は、ッヘェ、そうっす、みたいな頭を掻いて恥ずかし乍らという仕草と顔をした。
「いや、しゃべったらあかんゆうてへんがな」と笑いながら俺が言うと寅三が声を出した。
「わいらもっぺん飲んでこよかいな、なあ弥五さん」と言うに弥五が「いや、もうわいはええわ、われ一人で飲んでこいや」と応えるといかにも寅三が、おっまえ、あほ、あっほやなおまえ、という顔で気ィ利かさんかいと顔で言っているのがわかり俺は「はは、だんないがな、もうちょいしたら、しらたき寅三ィ連れ帰てもらわんならんさかいな」と言った。
「熊やん、安心しぃ、わいが責任の限りを尽くしてしらたきちゃんを送ったるさけ、あ、ほな酒と宛て、酒と宛てを持てこよかいね」
「弥五郎、おまえも一緒ィ送ってってくれるけ」
「兄貴、任しとけ、こいつあてならんわ」
「兄貴、任しとき、こいつあてなるわ」
「また掛け合いか」
まあ年も同じとあって、二人は余程気が合うことだ。それで思い出したが、辰次郎は俺より若いと思っていたが俺と同年であるらしい。辰次郎が今どのような思いでいるのか、俺にはまったく推し量ることさえ出来ないのであった。辰次郎は多分俺と何一つ似通った部分が存在しない人間である。

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