天の白滝 五十七

「またあとで話すけどもな、俺がしらたきを連れ帰ったっちゅうのんを辰次郎は知っとるんにゃわ、そやさかい、寅三おまえが俺と偶然道端で会うて、しらたきを送ってくれとそう頼まれた、とこないゆうといてくれるか」と唐突に俺が言ったのは、この二人なら辰次郎を俺がぶん殴ってしまったことを話してもわかってくれるだろうと思ったが、それを今しらたきの前で話す訳にはいかなかったからである。
「心得まった、ほなそゆうことにしとくさね」と寅三はそれに快く相槌を打った。
「しらたき寝てもうたんかいの」と弥五が蒲団にもぐったままのしらたきを見ておもむろに俺に聞いた。
俺はしらたきの掛蒲団を少しだけめくり中を覗いてみた。するときょろっとしたしらたきのふたつの目とぱちんとぶつかった。しらたきは起きていた。俺はしらたきと見詰め合って寸時、その意を汲み取った。そして弥五に返した。
「寝てもうとるわ」
「なんや、残念やな、わいもしらたきの寝顔見たいわ」と弥五が蒲団をめくろうとしたので俺は目にも留まらぬ速さでその手を制し「それは無理」とすかさず言った。
「いけずな兄貴やのぉ、ええやんけちょびっとくらい」と弥五郎はそれでも蒲団をめくろうとしたので俺はむきになってとめながら「いけしつこいやっちゃな、ほんま、姫の寝顔を見るとは百数万年早いわい」と弥五と遣り合っているのを寅三が「ははは、しらたき姫が目ェ覚ましますで」と笑った。
俺はふと、有明行灯の柔い明りに照らされた俺と寅三と弥五郎の男三人の影が巨大となって動く壁と天井を見た。
それはまるで、三つの影が合わさって一匹の竜となり、寝ているしらたきに今にも襲い掛かろうとしているような形に見えるな、と思った。
俺はそこで、また辰次郎を思い出した。あらゆることで辰次郎を思い出してしまう。それはあまりに辰次郎という存在が気になって気になって仕方がないからだ。今あいつは何を考えているのか。普段からいったいどんなことを考えて生きているのか。なんであんなに善の塊のような男なのか。そして、なんであんなに優しい男なのに、とてつもなく不気味な感じを俺に抱かせるのか。
最初に会ったときはこれといってそんな印象は受けなかったのだが、二度目に辰次郎を見たときから俺の中で辰次郎のその外面と内面があまりに一致していないような違和感のような不気味さを感ぜずにはいられなかった。二度目に見たときというのは、俺が少し遠くを辰次郎としらたきが仲良さそうに歩いていたのを見つけたときだった。
辰次郎の顔を思い浮かべてみると、やっぱり恐ろしい何かがある。何故か。辰次郎の顔は目が切れ長で若干吊り上っている。鼻と口は、特に特徴もない普通である。しかしなんでか眉の骨がぶんっと前に突き出していて、また眉が尋常ではない、仙人かと思うような立派なそして濃く黒い眉で少々下がり気味なのである。なのでその突き出して下がり気味の眉の骨と眉の下にある切れ長の吊った目がどうも変だなあ、合ってないのではないかという気がして、ずっと見ているとまるでこの世のものでないような奇妙な感覚を抱かせるのである。しかし、その眉にその目はおかしいでしょう、と思わせしめるような顔なのに、またずっと見ていると、実にいい顔だと思えてくるから不思議である。辰次郎は寅三と違い男前という感じではないのだが、男前を超えたというような顔、そこに男前かどうかは最早まったく関係ないというような、顔から念力が迸って甚だしすぎる、というよな気にさせる複雑かつ珍妙な顔なのである。それでいて、俺は寅三が俺と知り合った当初話してくれた自分の事を見ていないような冷たさを辰次郎からも感じると言ったことがよく理解できた。それはもしかして辰次郎の慈悲が余りに人間に理解できる優しさを超え過ぎている為に、優しさを優しさと感ずる前に疑いが先に生じてしまうというものかもしれなかったが、つまり、本当のところ何を考えているのかさっぱりつかみようのない人間だということである。そしてずっと見ていると何かを吸い取られてしまうのではないかと恐怖を起こさせるような目を持っているのに、しかしその個の持つ性質は暗いものではなく、むしろ眩しすぎる太陽の如く存在であるというような非常に理解に困る難解な人間なのである。
その時、あっ、と俺は弥五郎とふざけあい考えながら壁と天井に映りこんだ竜のような影を見ながら、気付いたのだった。竜顔なんだ。と俺は思った。だから辰次郎っていう名前に辰が入ってるんにゃわ、と今初めてそれに気付いたのだった。しかし、辰に似ているから辰次郎とは親は名前をつけるのにあまりに手を抜きすぎていると思って辰次郎が哀れになった。では、その弟の寅三は虎に似ているのかと思って、ふと寅三の顔を見て驚いた。そう思って見ると顔の輪郭といい、目の位置や鼻と口の振り合いが虎のそれと似ていると思えてくるから面白い。じゃあ、弥五郎はヤゴに似ているのかというとこれは全然似ていなかった。どう見てもこの顔から蜻蛉に羽化するというような顔ではなかった。それなら当の本人、この己の顔は熊に似ているのか、と思って熊の顔を思い浮かべてみた。俺はあんなに顔が横に広がって目がまあるくて鼻から口にかけて尖っていない。よかった、俺は熊に似ていたから熊太郎と名付けられたわけやないんやと内心ほっとした。
と、俺はほっとして蒲団の中にいるしらたきに目を向けて愕然とした。そういえば俺はしらたきがただ色が白かったので、しらたきと名前をつけたのであったことを思い出したからである。俺はしらたきに対して御詫びのしようもないことをしてしまったのではないか。何故なら、しらたきというのは、動物でも生きたものでもなく、江戸で呼ばれる蒟蒻状の糸のように細くて白い食べ物のことだからである。俺はなんて名前を自分の拾って育てると決めた娘に付けてしまったのだろうかと呆然となった。しかし、俺は決して、他に何もいい名前が浮かばなかったので、もういい加減に諦めてしらたきでええか、という気持でこれをつけた訳ではない。俺はこの小さい乳呑み児になんて名前をつけようかと思ったとき、真っ先になんでか頭に浮かんだ言葉がしらたきという言葉であって、俺はそれが食べ物の名前であると知っていたが、そのしらたきという言葉を心の中で呼んでみたら、その音色がごっつう心地が良いことを知って、実際声を出して呼んでみた。丸っこい二つの目で俺の顔を何も考えていないような顔で見つめる児に向って俺は呼んだ。しらたき。しらたき。と、とすると、しらたきはなんとなく嬉しそうにしているような気がしたのである。そうか、おまえ、しらたきっちゅう名前気に入ったか、おまえほんま白いしな、ほな決定じゃ、おまえの名前は、しらたきや、ええな、白い滝のように立派に育つんにゃで。とあとから無理やり白滝の意味を入れて俺はしらたきにしらたきとつけたのである。
どうなんやろう。と俺は思った。しらたきは、もしかしてその名前で呼ばれるのがもう嫌で仕方なくて、しかしその名前ではもう呼ぶなと言うとせっかくつけた俺を悲しませると思って、しかし、どうにも苦しいので、旅に出ることにしたのであったら。俺はもっとちゃんとした名前をつけるべきであったのだろうか、と苦渋した。
悩んでいると、ほたえていた弥五郎が煙草盆の角に思い切り肋を打って、いてつつつつ、と言っているのを寅三が大笑いして俺も笑った。
少ししてから、蒲団の隙間からしらたきを覗いてみるとすうすうと眠っていた。起したくなかったし、しらたきと離れたくなかったが、それはしょうことない、しらたきを起すとかなり眠たそうだったので弥五郎にしらたきをおぶらせ「け躓かんよう気ィつけや」と言って、寅三と一緒に家へ送らせた。
三人の後姿を見送っていると、三人は俺の居る場所と全く違う場所へ行ってしまうのではないかという気持になって恐ろしさと寂しさが来て、その後にはとめどない虚しさがやってくるのだった。
家で一人になると、俺はしらたきの体温がまだ残ったあったかい蒲団の中に入った。するとすこし心もあったまってきて、次はいつしらたきに会えるだろうかと思って、その次には辰次郎に一度ちゃんと謝るべきではないかと考えた。どないしょ、松河家に訪ねる、寅三に頼んで辰次郎を連れてきてもらってどこかで会って謝る、どっちがええやろう。そんなことを考えながら知らぬ知らぬま眠りへと落ちていった。

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