天の白滝 五十八

明治二十四年如月のこの日俺は相変わらず何もしないで午過ぎから山羊の親ッさん方で酒を飲んでいた。
一月前、辰次郎に謝ろう、そう思った俺は一度松河家へ訪ねた。するといつもの下人が出てきて、俺が辰次郎にちょっと話があるので呼んでもらいたいと丁寧に頼むと「あにぼんはんは今いはりまへんさかいどうぞお引取りください」と冷たくあしらわれ、ほないつやったらいてるのかと聞いたら「だいたい家にはあまりいはりまへん」とこない返され、けったくそ悪い気持でしょんぼりしてそれきり諦めてしまったのだった。
寅三に頼むという手立てもあるにはあるが、あまり寅三と俺が密接していると疑われそうになることは出来れば避けたほうが良い、寅三に迷惑がかかってしまうし、またそれでしらたきが外に出られなくなることも考えられる。
それにしても、しらたきとたった一月会わないというだけで心が散らし鮨のように散ってしまう。今までなら生きていくために俺は博奕をがんばっていたと言える。それはしらたきがいたから、しらたきを食わしていかなくてはならないという思いでまるで仕事をしに行くように博奕をしに行ったものだ。そして博奕は楽しかった。しかし、しらたきが俺から離れて行ってからというもの博奕をしている最中にも溜息がこぼれたり、家帰ってもしらたきおらんねや、さびしいなあ、などと嘆きながらやっていたりするからちっとも楽しくない。
だから俺は今日もこんな時間から酒を飲んでいた。往来を忙しそうに行き交う人々らを眺めつつ飲んでいた。羨ましいな、という思いで最初は眺めていたのが酒が回ってくると、ご苦労様ですな、という気持に変わって行き、そしてもっと酒が回ってくると、われの仕事はそれなんか知らんけろもね、俺の仕事はこれ、これなんにゃわ、わかりますか、わかりますか、その意味をわかりますか、という完全な酔漢の空しきあらがいとなったもので思考を埋め尽くしていく、悲しきかな。
今日は節分だからといって大豆や鰯や恵方巻を売り子がさばいている。
「かっ、何が節分、何が鬼は外福は内じゃ、あのなあ、鬼は己の外ィ出るかあ、あんだら、鬼は己の中ィしかおらんわちゅうねん、鬼はまさに己を喰わんかとしてやね己に向けて牙を剥き続けとるもんでやなあ、それィ気付くもんが福を授かることができるっちゅう話や、ほんま、豆撒いて何叫んどってもええことあるかあ、あかんあかん、そんなことばあっかしゆうとったら出直し食らうっちゅう話やでほんま、だいたい柊に鰯の頭刺して戸口ィ立てたり、でっかい巻鮨を恵方向いて阿呆みたいな顔してかぶりついたり、豆を大声で怒鳴り散らしながら撒き散らしてあとで無言でもくもく、あーめんどくさいなあ、とか思いながら片付けたりやな一体人間は何がしたいんにゃ、狂っているとしか思えまへんでっせ、みんながやっているから自分もする?それではあまりィそれはうといちゅうもんにゃ、情けないでほんま、俺もね昨年はしらたきと一緒ィ豆巻いて楽しかったなあ、しゃあけろ今年はできひんがな、毎年毎年人々がみんな節分できると思うなあ、俺の前で豆売りさばくなあ、あほんだら、あ、ちょう酒持てきてくれる?酒、さ、け、うん燗でね」
俺はそう独り言をぼやいて残りの酒を一気に呷った。
ごろんと横になって肘を着き、雪見障子の四角く切り取られた形の空を見上げた。
晴れ渡ってはいるが霞がかったような寒そうな冬空であった。
弥五郎はまたすぐ村に帰ってしまったし、寅三とも行き違いになっているのか元日から会っていない、さびしいなあと思ってまた通りを眺めた。
通りを行ったり来たりする人の顔を見てみてもやることもなくてさびしいなあと思いながら歩いているような人は一人もいない。いったい何を考えて生きているのだろう。こうやって眺めていると大方の人間は同じようなことを考えて生きているようにも見えるが、実際そうではないのだろう一人一人がぜんぜん違うことを考えて生きているかもしれない、しかしそのことに気付いて生きている人間と気付いて生きていない人間とではその差が歴然としていて、そこで分け隔てられてしまいそうな気がする。俺はそう思って、では俺はどっちにいるのかと考えてみたが、それがよくわからなかった。自分で考えていることが自分にとって難しすぎてよくわからなくなってしまったのである。しかし大事なことである、それだけはわかったのだった。
また持ってきてもらった酒を飲んでは外を眺め眺めしていると鬼の面を被ったちっこい餓鬼んちょが騒ぎながら走ってきて思い切り道にけ躓き、ずっでーんと派手にこけた。鬼の面もふっ飛んでいき真っ赤な顔になって大声でわあわあ泣き出した。ちょうどなんでか近くには誰もいてない一人で小児は泣いていた。少し哀れに思ったが、子供は気が移り変わるのがとても早い、直になんでもなかったかのように立ち上がるだろうと俺は見守っていた。しかし坊主は一向に起き上がろうとしない、うつ伏せになったまま涙と洟を飛び散らせながらわんわんと泣きじゃくっている。俺はもしかして打ち所が悪く大怪我を負ってしまったのではないかと心配になった。俺は助けに行ってやろうかと思い障子を開けたがすぐ下に低い垣根があり、それの向こうが急に落ち込んだ溝となっていて出るに出られない、戸口から出ると反対側なので大分回って行かなければならない、どうしようとぐずぐずしていると、その時、小僧の前にすっと自然に走り寄り現れた男が坊主を軽く抱き上げた。俺は驚いた。その男は辰次郎だったからである。
辰次郎は坊主をあやしているのか、何かを優しく話しかけながらまるで父親が子をいつくしむような慈愛の顔で坊主を見ていた。
俺はそれを見ながら複雑な思いにとらわれた。きっとしらたきを助けたときも同じような顔をしていたのだろう。俺が助けることの叶わなかったしらたきを辰次郎はあんな顔で助けた。俺のできなかったことを何故辰次郎はいとも簡単に出来うるのか、悔しさのようなもの、嫉妬のような黒々しいものが奥のほうから沸き立ってくるのだった。そしてしらたきの命の恩人に向ってそのような思いになる己の小ささにそれ以上にひどく悔しさにかられ苦しかった。
事実、辰次郎は俺に出来ないことすべてができる人間であるように思えた。
俺以外の人間には笑いかけたことなどなかったしらたきが辰次郎に向って不安を振りほどき微笑んでいたのは俺の見間違いではなかったのかもしれない。
すべての俺を覆っていた自尊心という殻がもろもろもろと剥がれ落ち、辰次郎から目を逸らすと障子を静かに閉めた。そしてまたぞろ酒を呷っては汲み、呷っては汲んで博奕しに行こうと心でぼそりと言ってぬぼっと立ち上がると勘定を済ませ、店を出てぬぼぬぼと俺は歩いた。売り子の籠の中に見えた大豆を食べ続けて気絶して寝たいな、と思った。
常識では考えられないようなことを起こさなければ、心がひしゃげて大きな龍に飲み込まれて死ぬ、そんなことを思ってはまた落ち込んだ。怖い、と思った。辰次郎の存在が恐ろしいと思った。
そして、俺はあのようにはなれないと思うのだった。なんでなのだろう。俺は罪人だからだろうか。

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