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天の白滝 六十一

一緒に死ねたらよかった。そう何遍も思った。一緒に死にたかった。こんな残りの人生何の意味があんねやろ、ないよ、なんも。罪滅ぼしか、ただの罪滅ぼしのために生きる、それが俺に残された道か。それでも死にてえなと思いながら死ねずにただ生きてきた。闇雲に生きてきた、俺の周りはいつも薄暗くて手探りで何かを考えついてもすぐに捨て、何か見つかりそうな気がしてもすぐに失ってはの繰り返し、何一つ残って積み重なっていかない、積まれていくのは俺の罪悪感だけだった。外に一歩出るのでさえ苦痛になり家でじっとして、何もせず伯母の世話になっていた時期もあった。するとこんだ一日一度顔を出し飯を持ってきてくれたり家のことをして帰っていく伯母と顔を合わすことさえ苦痛となり、伯母から逃げるようにして外に飲みに行くという日が増えていった。そうしてそれから俺は博奕にのめりこんで行った。博奕場におると伯母と顔を合わさずにすむ、俺の過去を何も知らない連中に囲まれてただ博奕に集中していれば良い、これだ、と俺は思った。俺はもう博奕だけをして生きよう、ほんで酒を毎日浴びるように飲んで、早死にしよう、このまま行くとあと十年も持たんやろ、そう思って暮らし始めたのが、二十二の年であった。よくそんなんで生きてこれたなぁと今にしてみると俺は思う。そして博奕をやり始めた頃と同時に女というもんを知り、女とおる時は何も考えずに没頭できるということを覚えて遊郭に入り浸り、その日博奕で勝った銭をぜんぶ使い果たして帰るという日も多々あった。

完全な無頼者として村中に知れ渡り、伯母からきつく叱られても言うことは聞かず、酒と博奕と女でなんとか身を支えるかのようにして生きていた。

しかし何事も俺はうまく続くということがない、こんだはこの身を支えてくれている酒、博奕、女までもを厭悪するようになっていったのである。

酒を飲んでは何も美味いと感じられない、最悪な悪酔いが続く、博奕場に赴いては誰彼構わず悪態をつき捲って荒事となる、女郎を買って、さあ寝ようというときになったら目の前におる女が嫌なもので出来ているような気になってきて堪らなく女を殴って宿を出るという日も続くようになり、俺を支えてくれていた酒、博奕、女、この三つがまるで俺を支えてくれない、このままでは近いうちに何かやらかして牢屋に入れられるということにもなりかねない、獄舎に入るくらいなら俺は死んでしまいたい、死ぬか、死ぬか、もう死ぬしかないのか、こんなに苦しいならば、死ぬしかないだろう、もう死んでもいいだろう、もう死ねるような気がする、死ぬ、どこで死ぬ、俺の死に場所に一番相応しい場所は何処か、そんなのは決まっている、あの場所しかないと俺は思った。俺の死が今でも横たわっている場所。脱け殻が戻りたい、ちゅうとぉ、そう呟いた俺は蒲団からぬっくっと起き上がるとその場所へと向った。

空は眩しかった、真っ白であった、俺の引き裂いた肉の血をこの空に振り撒いたらどんだけ鮮やかに冴えるだろう、振り撒きたい、俺の血一滴残さず、俺はこの天の中で死にたい、天を真ッ赤いヶに染めぬきこの天もろとも死んでやろう、天を連れ立って俺は、し・・・。

そういいかけたときであった。なにやらその場所の方から赤ん坊の泣き声が聞こえたような気がした。俺は訝りながらその場所、俺の自家へ近づいた。

俺がここで生まれてから十五歳の夏至ごろまで、俺と家族はこの家で一緒に暮らしていた。俺があの時殺していなければ、今でもここで一緒に暮らしていただろう。生きとったら親父は相変わらず今でも朝早くから百姓仕事に出て行く毎日を過ごしていただろう。

帰ってきたで、親父、そう心の中で自然と言った俺は、そう言えた俺は今なら死ねる、とそう迷いが切れた、やっと俺は死ねる時がやってきた、もう死んでもいい、本心でそう思った。

あれ、やっぱり赤ん坊の声が聞こえる、おかしいな、ここはずっと廃屋で誰も住んどらんはずやが。

外から見ても自家は廃屋そのもので、雨戸は一つなくなってるし、もう一つは外れかけて傾いている、折れた軒が垂れ下がっている、障子はこれでもかというほどぼろぼろになっている。縁側には鍬が置かれたままになっている。親父があの日一日の農作業を終えてうちへ帰ってきて縁側で少し夕涼みをしてからそこに鍬を置いたまま家へ上がったのだろうか。雑草が生え放題となった庭には草で半分隠れたカメの墓と書かれたでかい石がまだある。俺が幼いときから飼ってて八年くらい生きて死んだカメを埋めた墓である。

この十二年間この家には誰も住んでいない。家は人に住まれてようやく家である、誰も住まない家は最早家という形があるだけの空っぽで何の役にも立たない巨大なから箱と同じである。

主を失った家の姿は俺の姿そのものであるように思えた。

家の存在価値とは人が住んでくれることである。

俺の存在価値とは家族を喜ばせ、助け合って生きることだった。俺は存在価値を壊した。

俺はみんなの存在価値がそこに同時に存在していたこの家を殺した、そんな俺をこの家は呪い続けているように今までは思えたが、しかし今の俺の眼前にある自家は俺を拒んでいるというようには見えなかった。俺が来たことに、ここで死ぬと決心してやってきたことに、やっとおまえを許せる、安心したという顔で俺を見ているような気がした。

役目を失った死んだ家であるのに、何故人が住んでいる家よりもまるで生きた物のように様々な感情を内に宿しているように見えてくるのか不思議であった。

「戻ってきたで、一緒に死のう」そう小さい声で俺は言うと戸に手をかけて開けようとした。すると確かに中から赤ん坊の泣き声がはっきりと聞こえた。俺は建てつけのひどく悪い戸をガタガタ言わせて無理やり力づくで抉じ開け戸がはずれてそれを横に立て掛けると走って家中声の主を探し回った。

家の中は何故ここまで荒れているのか、残骸が散らばったようになっており、それらを押し退けて進むと唯一俺の暮らしていた時のままに置かれていた背の高い階段箪笥が目に入った。俺と向き合うように階段は上へと伸びている。一番上の段を見やると何かが乗っかっている。どうやら少しおとなしくなった泣き声もそこから聞こえて来るようだ。俺は幅の狭い箪笥を猫みたいな低姿勢で慎重に上ってゆく。ふぎゃらふぎゃらと鳴くその主に近づくのに驚かせないようにと俺は静かあに一段一段上ってゆく。そして一番上段の手前まで上るとそのものは生成りの白絹のきれにくるまれていて顔だけは出ていたが、ふがふが鳴いているその顔はまるで白餅のように白く、 また見た感触も白餅のようであり、頬だけは桜に染めたような色をしていた。目をぎゅっと瞑ってずっとふがふがふがふが泣いていた。

俺はその赤ん坊を真面目な顔でじっと眺めていた。実際少しの間であったと思うが、俺は一日がここで過ぎたと思える、そんな気が一瞬遠くなってまた戻ってきた後、俺は気付くと勝手に腕を伸ばしそのものを腕の中に抱いていた。やっと辿り着いた死を今諦めた俺と言う己れに降り懸ることはもう決まっている死以上の何か、死よりも俺を死に至らしめるはずである何かを俺は今おのれは抱いた、俺は今、それを自分のものとした。それはあたたかかった。今までの何より、それはあたたかかった。